2008年7月11日 (金)

「自殺予防の相談ダイヤル」の実現に向けてできること

今朝のNHKニュースによると、昨年まとめられた、国の「自殺総合対策大綱」の施策の1つとして、9月から始めることになっている「自殺予防の相談ダイヤル」への参加を予定している自治体は、現時点で、全都道府県と政令指定都市のの9割たらずだそうである。

この「自殺予防の相談ダイヤル」は、全国共通の番号にかかってきた電話が、最寄の自治体の相談窓口につながる仕組みである。

自治体が参加を見合わせている主な理由として、「予算や相談員の確保ができない」があげられているようである。

確かに、自殺のおそれがある人からの深刻な相談を電話で受けるシステムや人材や、一朝一夕にできることではないだろう。ただ、だからと言って、実施を先延ばしにしていては、せっかく成立した「自殺対策基本法」や「自殺総合対策大綱」が絵に描いた餅になってしまう。

自殺対策には、さまざまな方策が考えられるが、相談窓口の充実ということに限っても、そこには、予算や相談員の養成という課題がある。

相談員には、心理学や精神保健、社会福祉などの知識に加えて、心理カウンセリングの基本とされる受容・共感・傾聴などを含む相談スキルが必須である。
ところが、従来の相談員養成研修の多くは、知識の部分はまだしも、いわゆる「聴く」スキルの習得に多くの時間がかかることが課題であった。(この課題に気づいていない人も多いのが現状であるが……)

しかし、〈対話法〉で使われている「確認型応答」や「反応型応答」という概念とスキルでは、従来の受容・共感・傾聴などがより具体的な形で示されているため理解しやすい。そして、従来と比べて研修時間が節約できるのである。

私は、一昨年から、地域の「いのちの電話」相談員養成講座の講師を担当している。はじめは、「カウンセリングの理論と実際」の部分での1コマだけのピンチヒッターだったが、「確認型応答」や「反応型応答」を導入した実習を取り入れたため、受講者に分かりやすいと好評だったようで、昨年は「カウンセリングの基礎演習」も加わり、担当が3コマに増え、今年は4コマを担当した。
もちろん、一応、カウンセリングの基礎も伝えておく必要があるため、従来の、受容・共感・傾聴という概念も説明はしているが、演習の部分は、「確認型応答」と「反応型応答」のみで行っている。

「いのちの電話」の相談員養成講座での演習を3年間担当して、「確認型応答」と「反応型応答」という概念とスキルの有効性をますます実感しているこの頃である。

受講生が理解しやすいということは、養成にかける時間を、より少なくできるということである。時間を少なくできるということは、それだけ、他の重要な知識やスキルの習得に時間を割くことができることを意味する。あるいは、養成にかける時間全体を短くして費用を節減できることにもつながる。また、重要なスキルを習得しやすいということで、相談者をより多く養成できる可能性が増すであろう。

「いのちの電話」でも、このようであるから、「自殺予防の相談ダイヤル」における相談員養成でも、近い将来、「確認型応答」や「反応型応答」という概念とスキルが導入されれば、予算の削減や相談員の増員に貢献できるのではないかと確信している。

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2006年8月 5日 (土)

心の病を予防する

先日、東京で開かれた日本心理学会主催の公開シンポジウムに行ってきました。

「こころとからだの健康の心理学」のテーマで、3氏が話されましたが、私には、特に、久保田浩也氏(メンタルヘルス総合研究所)による「より効果的なメンタルヘルス活動への思考と方法--企業と職場を中心に--」が印象的でした。
久保田氏は、1970年代に、日本生産性本部の「メンタルヘルス研究委員会」で、筑波大学の内山喜久雄教授(現筑波大学名誉教授)らと活動をしてきた方です。

内容は盛りだくさんだったのですが、私なりに一言でまとめると、

■メンタルヘルスの向上においては、心の病気の早期発見・早期治療に力を入れるだけでは不十分であり、身体の病気と同じように、健康なときからの予防が大切である。

ということになるでしょうか。

そして、久保田氏は、「心の体操」というものを提唱しています。
講演中に、少しばかり実習をしたのですが、それによると、これは、自律訓練法を、さらに簡略化した方法のようです。

久保田氏は、この体操を、「いつでもどこでもできる」「短時間でできる」「効果がある」「機械・器具を使わない」「ランニングコストが不要」「誰でもできる」「安全である」「集団で一斉にできる」「一人でできる」などを考慮して考えたそうです。
私が提唱している〈対話法〉と同様のコンセプトであることが気に入りました。

身体の病気がそうであるように、心の病における予防的な活動の重要性を痛感した一日でした。

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2006年6月19日 (月)

誤解を防止する確認型応答

だいぶ前の出来事ですが、ある人から、下記のようなメールを受け取りました。

■ ……○○さんに連絡をすることはメールで断ったのですが……

          (前後の文章は省略します)

この文章を読んで、私はどう理解したら良いかわからず、首をひねってしまいました。前後の文脈からも判定不可能なのです。書いた人は、この文章の問題点に気づいていないのでしょうが……。

まずなによりも、この文章は肝心なことが全部抜けているのです。つまり、誰が断ったのか、誰に断ったのか、全く書いてありません。想像さえもできません。

さらにやっかいなのは、「断る」という語句の解釈が二通りあることに書き手が気付いていないことです。

「断る」には、代表的なものとして 許しを得る・拒否する の二つの意味があります。全く正反対の意味です。これを言葉の多義性といいますが、「断る」の場合、同じ言葉でこんなに意味が違うのは珍しいことです。

私は心理カウンセラーをしているので、カウンセリングの面接ではもちろん、日常生活でも、言葉の多義性には常に気を配っています。

ここで、カウンセリングでの失敗談を一つお話ししましょう。

カウンセリングは、相手(クライエント)の話を聞くことがメインになるので、一所懸命に聞くのですが、あるとき、クライエントから、「先生、もっと聞いてください」と言われました。私はとっさに、自分の聞き方が悪いのだと思い、ますます真剣に聞いたのですが、それにも関らず、「もっと聞いてくださいよ……」と言うのです。

おかしいなと思って、よくよく話しあってみたら、クライエントが言う「聞いてください」は、「分からないことがあったら聞いてください(質問してください)」という意味だったのです。にも関らず、私は、「質問」とは全く逆のことをしていたわけです。

このような誤解は、日常にはたくさんあります。笑い話で終わる内容や程度ならいいのですが、誤解から対人トラブル、さらには大きな失敗や事故に発展(?)してしまうこともありますので、気をつけなくてはなりません。

コミュニケーションって難しいですね。特にメールは、書き上がった文章を推敲しない場合が多いので、誤解の宝庫(?)になりがちです。

そこで、メールに限ったことではないのですが、相手との対話(メール交換も対話の一種です)の中で、「なにかおかしいな(変だな)」と思ったら、気付いた時点で相手に、「それは〜という意味ですか」あるいは「私は〜というふうに理解しましたが、これで合っていますか」という「確認型応答」をすることが、トラブルを防ぐ一番確かな方法です。

方法は、いたって単純ですが、意識的に実行している人は意外と少ないものです(無意識にやっている人はたくさんいます)。
また、私の経験と研究によると、この「確認型応答」を使えば、コミュニケーションが原因となる、多くの対人トラブルを防止・解消することができます。

言葉の解釈の違いによる誤解を少しでも防いで、より快適な対話や話し合い(メール交換を含む)をしましょう、というのが、私が〈対話法〉を提唱している一番の理由です。

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2006年6月14日 (水)

応答の「種類」

日頃、「話す」とか「応答する」などと、なにげなく言いますが、実は、話し方(対応)にもいろいろな種類があります。
そこで、よくあるパターンから順に記載すると下記のようになるでしょう。

1)相手の話を受けて、それに関して自分の頭の中に湧いたことを話す。(自他重視)
2)相手が話したことに関係なく、自分の頭の中にあったことを話す。(自己中心)
3)相づちを打ちながら聞くだけ。(相手中心1)
4)相手が言ったことを確認はするが、自分の意見や考えは言わない。(相手中心2)

これらのうち、2は、対話としては問題外ですから、ここではあえて説明しません。

1、3、4は、どれがいいということではなく、時と場合によって、適切な方法を選ぶことが大切です。

では、時と場合とは実際どういうことなのかということを説明します。

1は日常の会話の中で、最も多いパターンだと思います。お互いが気楽に気持ち良く対話できるのはこのパターンのときでしょう。
話の内容がさほど重大かつ深刻でなく、また比較的誤解が生まれにくい話でしたら、1が理想でしょう。

3と4は、カウンセリング(特に初回のカウンセリングの場合)における主な対応の仕方です。なぜかと言えば、話の内容が重要かつ深刻で、かつ心理的に微妙な領域の事柄を扱うからです。相手の話を十分に聞いてからでなければ、とてもアドバイスなどできません。

ところで、日常の会話(カウンセリング以外)でも、相談の色合いが濃いものや、重要な会議などのように、微妙なニュアンスを誤解なく伝え合わなくてはならない場合があります。

そのようなとき、はたして1の対応でよいのだろうか?というのが、私が〈対話法〉を通して訴えたいことの一つです。

上に書いたような場合は、本格的なカウンセリングではないにしても、部分的にはそれ(カウンセリング)に近い対応が必要だと思われます。
そして、そのためには、「それに近いような対応」を練習しておく必要があるのです。
なぜなら、ほとんどの人は、3や4を意識的に学んだことがないので、必要なときに実行できるとは限らないからです。

また、私がここで言っている「それに近いような対応」は、カウンセリングの技法より易しくなければなりません。なぜなら、だれでもが比較的簡単に使えなくてはならないからです。
そこで、最低限これだけできれば大丈夫ということで、〈対話法〉の原則を決めました。

【対話法の原則】
自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる。

実際の場面で、「相手の話を確認すること」と「自分の考えや気持ちを言うこと」のどちらにどれだけのウエイトを置くかは、話の内容や相手との信頼関係、そして何よりもその「対話の目的」によって違ってくるでしょう。
そこのところは、経験(あるいは〈対話法〉の練習会)から学んでいただくしか方法はありません。もちろん、多少失敗しても、失敗のあとの「確認」さえ忘れなければ、きちんと軌道修正はできますので、心配はありません。

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2006年6月 5日 (月)

カウンセリング・傾聴・〈対話法〉の違い

このところ、〈対話法〉とカウンセリング(特に来談者中心療法)、さらにはカウンセリングの「積極的傾聴」との違いについて質問されることがたびたびあります。
そこで、若干難しい話になるかもしれませんが、このことについて私が考えていることを書いてみます。

違いをひとことで言うならば、〈対話法〉とカウンセリングは目的が違います。

〈対話法〉の目的は、誤解の少ない快適なコミュニケーションの実現ですが、カウンセリングの目的は、主として悩みやトラブルの解消(ゼロにするのは難しいですが)です。

つぎに言えることは、〈対話法〉はカウンセリングの一部である「積極的傾聴」含んでいるということです。
ただし、一部とは言っても、コミュニケーションを担うたいへん重要な部分です。

では、〈対話法〉と「積極的傾聴」はどこが違うのかということになりますが、この違いを文章だけで説明するのはたいへん難しいことです。
しかし、「難しい」だけでは答えにならないので、要点だけでも言葉にしてみます。

■〈対話法〉は、カウンセリングにおける「積極的傾聴」の本質を残しながらも、カウンセリングという特定な視点ではなく、コミュニケーションという、より一般的な視点を重視して簡略化したものである。

と言えるでしょう。(ますます分かりにくくなったかもしれませんが……)

〈対話法〉とカウンセリングは違うものです。しかし、カウンセリングの重要な部分である「聞き方の技法」としての「積極的傾聴」と、かなり似ています。
一見しただけでは、ほとんど見分けがつかないだけに、違いを認識してもらうにはなかなか苦労するところです。

でも、「積極的傾聴」でなく、わざわざ〈対話法〉としたことには、私なりの大きな理由があります。

その一番は、「肝心なところを誰にでも学びやすくした」ことです。

その一例が、「自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる」という、具体的な原則の設定です。

「学びやすい」ということは、実践が容易になるということです。

〈対話法〉と「積極的傾聴」の違いは、見た目にはわずかな差でしかありません。しかし、この初期の「わずかな差」が、結果的には意外と大きな違いになります。
たとえてみれば、Y字型の分かれ道で、はじめは少ししか離れていないのに、進めば進むほどその間の距離が離れていくようなものでしょうか。
カウンセリングと〈対話法〉の間には、はじめから、もっと大きい違いがあります。

しかし、念のために言っておきますが、この「違い」は、どちらが良くて、どちらが悪いという意味での違いではありません。
カウンセリングにはカウンセリングの目的、〈対話法〉には〈対話法〉の目的があるのですから、違っていて当然です。ただし、勉強する段階でも、できれば、目的によって、カウンセリングと〈対話法〉を使い分けた方がいいと、私は考えています。

お断り:この記事の中では、カウンセリングと積極的傾聴を、厳密に区別しないで論じています。

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2006年5月31日 (水)

自分の話も「傾聴」してもらうには

傾聴スキル(相手の話をよく聴いたあと、自分が理解した内容が合っているかどうか相手に確かめる)を習って、その有効性を実感すると、とかく日常の生活の中で傾聴をする「役回り」になりやすい。
それはそれで、相手(話し手)にとっては気持ちがいいことなので、いい人間関係が継続する可能性が高い。

しかし、いつも傾聴していると、つまり聞き役に回っていると、疲れたり、たまには自分の言いたいことも思いきり言いたくなることがある。
そんな時は、自分の話を相手に傾聴してもらえると嬉しいのだが……。

しかし、「傾聴が大事です」「傾聴しましょう」と説かれることは多いが、相手に「傾聴してもらいましょう」といわれることは少ない。
いくつか理由はあろうが、その一つとして、「傾聴スキルは受容や共感が関ってくるので難しいから、それらを習っていない相手に要求しても無理である」という暗黙の了解があるのではないだろうか。

その点、〈対話法〉では、従来の傾聴スキルを、あえて受容や共感という概念を使わずに、「相手が言いたいことの要点を相手に言葉で確認すること」というふうに簡略化しているため、難しい理論や概念を知らなくても、だれでも傾聴に近いことができるのである。
したがって、自分の話を相手に「傾聴」してもらいたい場合は、たとえば、「私が言いたいことの要点だと思われるところを、言ってみてもらえませんか(つまり確認型応答)」とお願いするだけでよい。
もし、相手の確認型応答が違っていれば、たとえば、「本当は〜ということを言いたかったのです」と訂正すればいいのである。

 各地の対話法研究会では、参加者同士で〈対話法〉を練習しているが、その会での対人関係がうまくいっている理由として、〈対話法〉の原則、あるいは確認型応答という共通ルールの存在が大きい。また、相手にも聞いてもらえる時間が確保されていることが、一部の人だけが傾聴をして自分のエネルギーを持ち出すことを防ぐために大きな働きをしていると思われる。

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2006年5月23日 (火)

もう一度、「繰り返し」の是非について

しつこいかもしれないが、重要なことなので、「繰り返し」(オウム返しも含むが、ここでは、簡略化のために「繰り返し」という用語で代表する)について、もう一度書いておきたい。

日常会話の中で、軽い感じで、無意識のうちに、自然発生的に出てくる「同じ言葉」は問題ないだろう。なぜなら、このような場合は、相手の言葉を「意図的」に繰り返そうとして繰り返しているのではなく、自然とそうなってしまったからである。私が問題視しているのは、「技法として意図的に繰り返す」という意味での「同じ言葉」のことである。

しかし、残念ながら、これら二つの「同じ言葉」が、どちらも「繰り返し」と称されることが多いため、初心者は混乱するのである。

極端に分けるとすれば、

意図的に同じ言葉を言うこと(=繰り返し) ×
意図するわけでなく、自然と無意識的に同じ言葉が出てくること ○

ということになる。

カウンセリング研修のロールプレイング場面で、カウンセラー役として何らかのことを言わなければならないという状況で、反射的に「繰り返し」をしてしまうという体験は、多くの人がしていると思う。
また、相手(クライエント役)の話が、短すぎたり、分かりやすすぎる場合も、「繰り返し」でしか応答できないことがある。

たとえば、クライエント役の人が、次のように言ったとしよう。

クライエント役:「今日は、ここまで車で来ました」

本来、この程度の話題では、いちいち共感的応答をする必要はないのであるが、ロールプレイングは応答をする「練習」が目的であるから、何か言わなければ「練習」にならない。そこで、たとえば、

カウンセラー役:「車で来たんですね」

と、「繰り返し」をしてしまうのである。

しかし、私がカウンセラー役をする場合、次のような応答をすることがある。

浅野:「何も話題がなくて困っているんですね」

もし、これがクライエント役の人の気持ちと違っていれば、

「いいえ、実は……」

と続けて話してくれるだろう。共感的応答は違っていてもいいのである。

もし合っていれば、

「はい、このような練習は初めてなので、急に何か話せと言われても、話したいことを思いつきません……」

というように、クライエント役の、文字通り「いま、ここで」の思いや気持ちを語ってくれるかもしれない。

このような応答については、少し深入りしすぎるという批判があるかもしれないが、共感的応答の「練習」だからこそ、このような挑戦をお勧めしたいのである。もちろん、練習の場だけでなく、実際のカウンセリングの場面でも活用してもらいたい。
ただし、このような応答は、あくまでも、カウンセラーの理解の仕方が合っているかどうかをクライエントに確かめることが目的である。決してカウンセラーの理解を押し付けてはならない。

この稿の最後に、ロジャーズの言葉を紹介する。

 そのアプローチ(非指示的療法)全体が、数年のうちにひとつの技法として知られるようになり、「非指示的療法とは、クライエントの感情を反射していく技法である」と述べられるようになってしまった。さらにひどい真似事として、「非指示的療法では、クライエントが述べた最後の言葉を繰り返せばよい」というのもあった。私は、自分たちが提唱しているアプローチが、こうして完全に歪曲されたことにショックを受けた。そのため、その後数年間は、共感的傾聴に関して何も述べないようにした。再びこれを強調するようになった時点では、共感的態度に重点をおいて、対人関係の中でどのように実行していくかについては少ししか述べないようにした。

参考文献:C・R・ロジャーズ著/畠瀬直子監訳『人間尊重の心理学』(A way of being)創元社 130ページ
ただし、趣旨を変えない範囲で、浅野が若干書き換えた。

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2006年5月21日 (日)

問題解決が早いブリーフ・セラピー

今日は、失敗学会の会議があったので、東京に行ってきた。
私の場合、生産現場・医療機関・交通機関などにおける失敗や事故への対応と防止に「確認型応答」が役立つのではないかという観点から、失敗学会の活動に関わっている。

行き帰りの電車の中で、短期療法(ブリーフ・セラピー)の本を読んだ。ここ数年、ますます注目されてきたセラピーの一種である。

従来(と言ってもいろいろあるが)のセラピーとの大きな違いは、基本的に、クライエントがかかえている問題や症状の原因探しをしないところにある。
生育歴や原因はともあれ、とにかく悩みや症状が改善すればいいという、つまり前向き(解決志向)な対応をしていこうという考え方が根底にあるからだ。

私も、数年前から、このセラピーを取り入れている。そのためか、問題や症状がそれほど深刻でないクライエントの場合、文字通り、2〜3回でカウンセリングが終わるケースが増えてきた。

参考文献:スコット・D・ミラー、インスー・キム・バーグ著『ソリューション・フォーカスト・アプローチ』金剛出版

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2006年5月19日 (金)

共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!(2)

傾聴が、その重要性の割には、いまだに広く社会に浸透していない理由を、いつも考えている私としては、このブログにたくさんのコメントをいただき嬉しく思っている。
傾聴は、カウンセリングの基本的概念と技法であるが、それが、さまざまに理解・解釈され使われている現状をかいま見たような気がする。

ところで、ここ数日のブログ記事の中で、私は、受容・共感的理解・傾聴などの語句を、厳密な定義や区別をしないで使っている。専門家(私も専門家の一人であるが……)から見れば、とんでもないことかもしれない。

しかし、それには理由がある。
一番の理由は、それぞれが複雑かつ奥の深い概念なので、研究者によってさまざまな定義がされているため、それ(語句の意味の違いや研究者による定義の違い)を厳密に区別しながら論じようとすると、話がなかなか先に進まないからである。
つまり、ただでさえ難しい話が、ますます難しくなってしまうからである。
したがって、ここでは、それらの意味をどのように定義したとしても、常識的な範囲内であるなら問題ないとして話を進めている。

言い訳はこれくらいにして、今回、私が、「共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!」と主張している根拠の一つを、ロジャーズの著書の中から紹介する。

『ロージァズ全集・第2巻』のなかでロジャーズは、「あまり重要でない誤り」として次のようなことを書いている。
ただし、分かりやすくするために、主旨を変えない範囲で、浅野が字句を若干書き換えたことをお断りしておく。

ロジャーズは、

カウンセラーが、クライエントの感情を不正確に理解して(つまり誤解して)、それをクライエントに言葉で伝えた場合、多くのクライエントはカウンセラーの言葉を否定するであろう。このような場合、その指摘を受けたカウンセラーが、自分の誤りを素直に認めることにより、その点についてクライエントと議論するようなことをしなければ、カウンセリングの進行にとって、なんら害になることはない。

と言うのである。

もちろん、そのすぐあとでは、

しかし、このような誤りが繰り返されると、クライエントは、自分が理解されていないという感じをもつため、カウンセリングの過程が長引いてしまう。

とも書いている。

もしかしたら、ロジャーズがこのように書いているのを知って、驚いた人がいるかもしれない。
もしそうだとしたら、それは、ロジャーズが提唱した来談者中心療法が、ロジャーズの手を離れて、かなりいろいろな方向に一人歩きしてしまった証の一つであろう。

参考文献:C・R・ロージァズ ロージァズ全集・第2巻「カウンセリング」岩崎学術出版社 1966

浅野の注:ロジャーズの名前の表記は、時代により相違がある。1960年代に日本で『ロージァズ全集』が出版された頃は、ロージァズという表記が一般的だったようである。

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2006年5月17日 (水)

共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!(1)

カウンセリングを習っている段階では、共感の内容(カウンセラーの応答)が違っていると、講師(あるいは世話人)から(時には厳しい)指摘を受ける。これは、適切な共感的(感情移入的)理解ができるように訓練することがカウンセリング研修の目的であるから当然のことかもしれない。

しかし、実際のカウンセリング場面では。共感の内容が少しくらい違っていても、ほとんど問題ではない(もちろん違いが多すぎると信頼されなくなるので要注意だが)。
まして、日常生活での傾聴場面における多少の違い(失敗)は、まったく問題ではないだろう。むしろ、少しばかりの「失敗」を恐れるあまり、違っている可能性のない「繰り返し」「オウム返し」だけで応じることの方が問題だと思う。

なお、ここでいう「繰り返し」「オウム返し」とは、相手の発言の全部(短い発言の場合)、あるいは一部(長い発言の場合)を、そっくりそのまま(わずかな言い換えも含む)の言葉で言うことを意味する。

たとえば、ある女性が、「私、どうしても友達が欲しいんです。でも、近付こうとすると、いつもサッと逃げられて、その度に傷付いてしまいます。それで、家に帰ってから、自分でも何だかわからないけれど、母親に当ってしまうんです。母親に悪いなあってことはわかっているんですけど……」(浅野良雄・妹尾信孝著『輝いて生きる』から抜粋)と、悩みを訴えたとする。

「繰り返し」「オウム返し」とは、これに対して、単に機械的に、

「傷付いてしまうんですね」
「母親に当たってしまうんですね」
「母親に悪いなあと思っているんですね」

などと応じることを指している。

つまり、私は、「繰り返し」「オウム返し」という用語を、「単に機械的(テープレコーダーの再生か、文字通りオウムのように)に同じ言葉を反復する」という意味で使っている。
(他の人もほぼ同じような意味で使っていると思われるが、「繰り返し」「オウム返し」について詳細に検討している文献がほとんどないのでなんとも言えない)

もちろん、人間は機械やオウムではないから、相手の発言内容を少なからず「理解」した上での応答だろうが、相手にとっては、本当に理解された上での応答なのか、口先だけの応答なのかという判別がつきにくいところが、「繰り返し」「オウム返し」の大きなデメリットの一つである。

ただし、一つだけ例外がある。
「その言葉に、相手にとって重要な感情が込められている」と聞き手が感じた時(これができるようになるには適切な訓練と経験が必要)は、その言葉を変えずに応答することがある。

たとえば、上の例で、
「私、どうしても友達が欲しいんです」
というところに感情が込められていると聞き手が感じた場合、

「どうしても友達が欲しいんですね」

と応答することがある。

しかし、ここで大事なことは、「どうしても友達が欲しいんですね」という言葉を「繰り返し」「オウム返し」したのではなく、その言葉が、相手が言いたいこと(考え・気持ち・感情など)の「要点」だと聞き手が感じたから、その言葉をそのまま使って応答したということである。

この場合、一見「繰り返し」「オウム返し」のように見えるが、そのように応じた理由も目的も、「繰り返し」「オウム返し」とは全く異なっている。

私がカウンセリングを習った、ある先生は、「共感的理解の結果、たまたま相手の言葉の『繰り返し』になることはあるが、はじめから『繰り返しをしよう』と思ってするのではない」と説明していた。

ここでまとめておくと、聞き手の応答において、

■共感的理解の結果が、一見「繰り返し」「オウム返し」に見える応答になることはあっても、
■「繰り返し」「オウム返し」が、共感的理解をしたことにはならないということである。

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2006年5月15日 (月)

繰り返し・オウム返し技法はロジャーズ理論とは関係ない

カウンセリングの場面はもちろんのこと、日常生活の中でも、多くの人によって、受容・共感・傾聴の重要性が理解され、実践されている昨今である。
一方、受容・共感・傾聴を習った人が、「繰り返し」や「オウム返し」でしか応答しない不自然さに違和感をいだき、受容・共感・傾聴に対して否定的な考えを持っている人もいるのではないだろうか。

私は、受容・共感・傾聴の重要性を痛感し、一人でも多くの人に伝えたい人間の一人として、上に書いたような状況を、なんとか変えていきたいと奮闘する毎日である。

カウンセリングにおいて重要な、受容・共感・傾聴などの概念が、「繰り返し」や「オウム返し」という技法(?)と、あたかもイコールであるかのように伝わっているのは残念なことである。まして、それがロジャーズ自身が提唱しているかのように、一部の人に理解されていることは、ロジャーズに対して申し訳ない気持ちさえする。

ロジャーズは、カウンセリングでは「繰り返し」や「オウム返し」が重要だとか、すべきだとは言っていないのだが、あたかも、そのように誤解されている原因の一つに、次のようなことがあると推察される。

一部の一般向けカウンセリング入門書の中では、カウンセリングにおける受容・共感・傾聴などの重要性が、ロジャーズの理論をもとに説明されたあと、カウンセラー応答の具体例として「繰り返し」や「オウム返し」が紹介されている。
そこで、「繰り返し」や「オウム返し」を、あたかもロジャーズが提唱しているかのように読者が錯覚してしまうことがあるのも無理はないだろう。

この誤解の原因の一つは、入門書の著者が、どこまでがロジャーズ自身が提唱していることなのかを明確に記述していないところにあると思う。

しかし、もしもロジャーズ理論に対する誤解がなかったとしても、「繰り返し」や「オウム返し」は不適切であると、筆者は考えている。

(ここで書いた内容は、筆者(浅野)が誤解している部分がないとはいえません。お気づきの方は、遠慮なくご指摘ください。時間が許すかぎり、建設的な意見交換をしたいと考えております)

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2006年5月14日 (日)

受容・共感・傾聴は「繰り返し」や「オウム返し」でいいのだろうか?

これは、以前から疑問に思っていたことである。

カウンセリングでは、受容・共感・傾聴が重要なスキル(技法)だ。
これは、疑いないことだと思うが、それを、カウンセリングの入門講座で習うとき、しばしば、「繰り返し」や「オウム返し」という技法の形で説明され、実技指導されることがある。もちろん、指導者によって違いはある。

また、カウンセリング関連の専門書でも、「繰り返し」や「オウム返し」などが、
あたかも受容・共感・傾聴の具体的な方法であると説明されているものがある。

ところが、受容・共感・傾聴について研究・提唱した当のC・R・ロジャーズは、
「繰り返し」や「オウム返し」を勧めてはいない。
なぜなら、「繰り返し」や「オウム返し」には、多くの問題があるからだ。

私が提唱している〈対話法〉、特に「確認型応答」という概念と技法は、この問題点をなんとかクリアしたいという切なる思いにより考案したものである。

どこが問題なのかということや、では、どうすればいいかということについては、
すでに対話法研究所のホームページや著書で書いている。
しかし、その後気づいたことや、ロジャーズの論文から紹介したい部分も多々
あるので、このブログで、追々書いていく予定である。

参考:
自分の「繰り返し」が他のメンバーに違和感をもたれたという体験談が書かれたブログの一文を紹介する。
正解があるなら聞きたいが…

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2006年5月11日 (木)

興奮と冷静の切り替え

昨晩、NHK総合で放映されたクローズアップ現代の、「脳科学で防ぐ“キレる子”」を見た。
思い切り心身を動かして楽しく遊ぶ状態と、遊びを終わらせて冷静な状態に戻るときの気持ちの切り替えの方法を、体験を通して学んでいくことの重要性が、脳科学の観点から理解できた。
この番組については、たくさんのブログ記事があるので、いくつかを紹介する。

脳科学的にみても親子のコミュニケーションは大事みたいです

周囲は心の鏡

じゃれつき遊び

〈対話法〉の練習は、冷静に相手の言葉を聞くことを通して自分の感情をコントロールする訓練にもなっている。
このような心の働きが、脳科学の研究からさらに解明されることを願っている。

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