2010年12月 1日 (水)

「東京新聞」と「中日新聞」の朝刊で〈対話法〉が紹介されました

 今日、12月1日は、知人の妹尾信孝さんとの共著『輝いて生きる』(文芸社)が出版された日です。ちょうど、10年前のことです。
 奇しくも、今日(12/1)、「東京新聞」と「中日新聞」の朝刊の「セカンドらいふ」欄で、浅野が16年来提唱している〈対話法〉が紹介されました。地方紙以外での紹介は初めてです。
 タイトルは、「達人に聞く夫婦の会話術---『確認』織り交ぜスムーズに」。11/23に開催された、「対話の会」in東京の写真も掲載されています。
 東京新聞の、こちらのサイトでも、記事が読めます。

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2007年3月29日 (木)

脱線事故の車掌証言にみるコミュニケーションの課題

 2005年4月に起きたJR福知山線の脱線事故(兵庫県尼崎市)で、事故車両に乗務していた車掌が応じた新聞の取材内容が公表された。

参考・引用記事:3月29日3時2分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070329-00000017-mai-soci

 コミュニケーションを研究している私が特に注目したのは、「事故直前に駅でオーバーランした距離の過少申告について、運転士と口裏合わせをした際、乗客への対応で車内電話を途中で切ったことについて『運転士は、(自分が)怒ったと思い、不安だったかもしれない』と語った」という部分である。

 車掌が運転士と電話で会話をしている途中で、男性客からおわび放送を求められたため、運転士との電話を切ったというのである。そのことについて、車掌は、「高見運転士は(口裏合わせの求めに自分が)怒ったと思ったのかもしれない。(切る前に)『まけるよ』とは言っておらず、不安だったかもしれない」と語っている。

 ここでは、「口裏合わせの是非」や、「列車停止装置の設置などの問題」は置いておくが、車掌が語った言葉の中には、コミュニケーションにおけるさまざまな課題が示されていると考えるので、その中のいくつかを次に示す。

○緊急時のコミュニケーションありかたの問題。
○不完全なコミュニケーションに起因する「思い込み」「誤解」などの問題。
○不完全なコミュニケーションへの対処法についての知識とスキルの習得の問題。

 コミュニケーションという観点から考えると、これらの問題が一つのきっかけとなって、大きな事故が起こってしまったと言えよう。

 そして、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会による事実調査報告書では、運転士が車掌から指令への報告内容に気を取られていたため、ブレーキ操作が遅れた可能性があることを示唆している。

 人間の対応能力を超える事態の渦中においては、この事故における運転士や車掌でなくても、誰でも同じような状況に置かれたら、同じような対応をしてしまう可能性が高いであろう。したがって、これらの事故への対応を、個人の責任や人災というレベルで終わりにしてしまうのではなく、どのようにすれば今後に活かせるのかを考え、実行していくことが求められている。
 そして、これらの課題に対して少しでも実効性のある具体的な改善を推し進めたいとの思いで、私は〈対話法〉の普及を提唱しているのである。

 話を戻そう。
 2年近くたっても事故の遺族らに謝罪していない点について、車掌は、「謝りたい気持ちでいっぱいだったが、事故を防げなかったことをうまく説明できるかわからず、そのうち外で人に会うことさえ怖くなってしまった」と述べている。

 この車掌に限らないことであろうが、一般論として、大きな事故の前後の状況や、その時、どのようなことを考え、どのような判断をしたのかということを客観的に語ることは難しい。
 大きな死亡事故の場合は、それに加えて、遺族や負傷者から責められても仕方のない責任のある立場にある者としては、それらの人たちと向かい合って、きちんと謝罪できるだけの精神力をもつことは常人では難しいことであろう。

 このような場においては、感情的な発言のやりとりになってしまうことが多い。そして、それによって、双方が傷ついてしまう可能性が高いのである。これが二次被害である。
 特別なコーディネーターがいない状況で、普段の会話で行なっているように、お互いが自分の言いたいことだけを言い合うだけでは、より傷を深くしてしまう可能性が高いのである。

 このような場において、少しでも冷静に、意義のある話し合いをするためには、原則として、双方が相手の言い分をよくきいて(傾聴)、自分の理解した内容が合っているかどうかを相手に確かめて(確認型応答)、それが合っていたことが確認されてはじめて、自分が言いたいことを言う(反応型応答)というプロセスを踏むことが重要なのである。

 この方法に近いことは、これまでにも、専門家による、さまざまな相談、調停、紛争解決の場面で実践されてきたことではあるが、一般の人が使える「簡略化したスキル」として明文化したのは、〈対話法〉が初めてのことである。

 ところで、日本航空やJR西日本が、一連のトラブルや事故の対策の一つとして、社内での「確認会話」を導入したという報道後、これと関連する「確認型応答」を提唱する対話法研究所のホームページへのアクセス数が増えている。

 これまでも、私たちは無意識あるいは意識的に「確認」をしていたのであるが、今後は、「より意識的に」確認をするスキルと習慣を身に付けることが、コミュニケーションの不全に起因するトラブルや事故を防ぐ第一歩であると考える。

 もちろん、コミュニケーションの改善だけであらゆるトラブルや事故を防ぐことは不可能である。また、人間にはミスやエラーがつきものであるから、完全なコミュニケーションというものもあり得ない。その点は、フェイルセーフ機能などのハードウエアの改善や、組織改革や社員研修の充実など、さまざまな改善が必要である。
 しかし、忘れてならないことは、これらの改善をする全てのプロセスにおいて、関係者相互の「コミュニケーションの質」が結果を左右するということである。

 対話法研究所としては、コミュニケーションの改善によって防止できるトラブルや事故を一つでも少なくするために、コミュニケーションにおいて重要な役割を果たす「確認型応答」の有効性をアピールし続けていきたい。

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2006年8月18日 (金)

危険性を指摘する発言が許される環境

近ごろ、「関係者がもう少し想像力を働かせていれば起こらなかったかも知れない事故」が目立っている。

こんなことを考えていたら、今日(8/18)の東京新聞・朝刊の「言いたい放談」欄で、「日本人は『想像力』欠落か」と題して、演出家の鴨下信一氏が、次のようなことを書いていた。

たとえば、
「川に橋がかかり送電線が渡っていることを、川で働く〈ふつうの想像力〉を持つ人間が知らないはずがない」
「幼児を殴れば死ぬかも知れない、大勢で殴る蹴るを続ければ殺してしまうだろう、こう思う〈ふつうの想像力〉を日本人はなくしてしまったらしい」
と書かれている。

プールの吸排水口のふたが針金だけで止められていれば、錆びて外れたときに吸い込まれる人が出る。ガス瞬間湯沸かし器を応急修理したときのバイパス配線を放置すれば、さらに重大な故障が発生したときに安全装置が働かない可能性がある。
最近起こったこれらの事故は、鴨下氏が言う〈ふつうの想像力〉があれば、事前に察知できた可能性は高いだろう。

ここからは一般論になるが、この種の事故にみられる企業や個人の責任問題とは別に、人間としての心理的な要因を考えてみたい。
〈ふつうの想像力〉が大切であるということに加えて、ここで指摘したいのは、人間の中にある「たぶん大丈夫だろう」という意識である。このような先入観や思い込みのことを、心理学では「正常性バイアス」と呼んでいる(もっと正確な定義は、後で紹介するサイトで知ることができる)。関係者全員が、この「正常性バイアス」に陥っていると、危険性が放置される可能性が高くなるのである。

では、「正常性バイアス」から抜け出す方法は何もないかというと、必ずしもそうではない。ここでは、その方法の一つとしてコミュニケーションの問題を指摘しておきたい。
関係者の中には、危険性を察知しているメンバーが一人くらいはいるだろう。そして必要なのは、危険性を察知したメンバーが、遠慮なく周囲(他のメンバー)にそれを伝えられる「雰囲気」である。

逆に、「これは少し危ないのではないか」とか「このままにしておくと危険なのではないか」などと指摘したときに、他のメンバーが、「それは心配しすぎだよ」「そんな心配は素人が考えることだよ」「単なる想像で言ってはいけないよ」などのように、危険性を警告する発言を否定・批判するような雰囲気があると、なかなか言い出せないだろう。

以前、当ブログ記事の「事故とコミュニケーション」で、 認知心理学の観点からさまざまな事故の原因や対策を研究している海保博之氏(筑波大学教授)の提言を参考に「メンバーが自分の思いを、自由に、しかも頻繁にコミュニケーションできる環境が必要である」と書いたが、メンバーが、危険性について気づいたことを何でも言える雰囲気が大切だというのも、これと同じ趣旨である。

なお、具体的なスキルの一つとして、当ブログの「確認はヒューマンエラーへの対応策」で書いたような「確認型応答」の徹底がある。確認には、誤解を防ぐだけでなく、お互いの信頼感を育む効果があるため、何でも言いやすい雰囲気が醸成されるのである。

■「正常性バイアス」についての理解は下記のサイトが参考になる。

「防災システム研究所から「正常性バイアス防災心理

「ひろ子日記」から「『正常性バイアス』にご用心」

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2006年6月12日 (月)

事故への対応/謝罪の是非

東京都内で、エレベータによる死亡事故が起こったことに関して、それぞれの立場から、さまざまなコメントが出されている。
詳しい事実関係、さらに事故原因が公表されるまでには、もう少し時間がかかるだろう。

ここでは、このような事故が起こった際の対応について、交通事故を例として行われた調査の一つを
紹介したい。このブログで論じている、心の通うコミュニケーションというテーマにも大きく関わるからである。

欧米では、一般に、交通事故を起こした時、たとえ自分の側に非があった場合でも、安易に謝ってはいけないと言われている。
なぜなら、その方が、保険金の交渉を進めていくうえで優位に立つと考えられているからである。

しかし、本当にそのような態度が有効なのかどうかについて、英国の
大手保険会社が行った調査の内容が、昨年(2005.9.30)「共同通信」により報じられた。 
それによると、意外な結果が出たというのである。

試算によると、「ソーリー(すみません)」と謝らなかったために、被害者の怒りを買い、英国で少なくとも年間2800万ポンド(約56億円)もの保険金が過大請求されていたというのである。

だいぶ前の記事なので、
現在ネット上では読むことができないが、その代わりに、このことに触れたいくつかのブログ記事があるので紹介する。
http://yukky.txt-nifty.com/bikeblog/2005/10/post_56cb.html
http://nipponnogenki.seesaa.net/article/8685364.html

なお、もとになった「Norwich Union」の記事(英文)を探したので合わせて紹介する。
http://www.nu-riskservices.co.uk/news/articles/cms/1127926373212694732605_1.htm

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2006年5月11日 (木)

感情が「目で見える」IT機器

昨日の「東京新聞」で、話し手の感情が三色の光の変化として見えるようにする「言花」(KOTOHANA)のことが紹介されていた。

〈対話法〉の効果の研究にも使えそうだと思い、ネットでいろいろと検索しているところだ。

そもそも感情というものは、客観的なデータ(たとえば数値化されたもの)として取り出すことが難しいので、カウンセリングや、〈対話法〉などのコミュニケーション技法に関する科学的な研究がなかなか進まない。

「言花」のような機器の精度が向上して、もっと安価になれば、人間の心理やコミュニケーションの研究にも大いに貢献するのではないかと思っている。

「言花」に関するブログ記事:気持ちを光で表現する「言花(KOTOHANA)」

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