2008年10月20日 (月)

ほめる行為の効果に影響する上司と部下との関係

対話法研究所が行った研究結果を支持するような記事を見たので紹介します。

JR西日本は、福知山線脱線事故を受けて、平成18年、社内に「安全研究所」を設立しました。本日10/20、そこで行われた、人的要因が安全に与える影響についての研究成果が発表されたそうです。

研究の一つとして実施された、「効果的なほめ方・しかり方」についてのアンケート調査によると、部下が行った工夫を上司が評価した場合、業務に対する責任感が向上しますが、上司との関係が悪ければ、逆に低下するという結果が出たようです。

つまり、「上司と部下の関係が良好な状態を保ったうえでほめることが重要」だということが分かったということです。

浅野が提唱している〈対話法〉の理論によると、「ほめること」は「反応型応答」に分類されます。
そして、最近の研究によると、反応型応答は、その好感度が、相手との信頼関係など、様々な条件に左右されること、一方、「確認型応答」は、信頼関係の有無にあまり影響されずに、好感度が比較的高く保たれる傾向にあることが分かりました。

JR西日本の研究では、ほめるという行為と業務に対する責任感との関係について調査したわけですが、「ほめられる」ことに対する好感度が、業務に対する責任感に影響すると仮定するなら、浅野による研究と、ほぼ同じ結果が出たと言えるでしょう。

浅野による、この研究結果は、8月に九州で開かれた国際学会で発表されました。また、詳しいことは、間もなく刊行されるジャーナルに掲載される予定です。

■参考記事(産経新聞)「仲が悪ければほめても逆効果 JR西が上司と部下の関係を研究」はこちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081020-00000538-san-soci

|

2008年7月11日 (金)

「自殺予防の相談ダイヤル」の実現に向けてできること

今朝のNHKニュースによると、昨年まとめられた、国の「自殺総合対策大綱」の施策の1つとして、9月から始めることになっている「自殺予防の相談ダイヤル」への参加を予定している自治体は、現時点で、全都道府県と政令指定都市のの9割たらずだそうである。

この「自殺予防の相談ダイヤル」は、全国共通の番号にかかってきた電話が、最寄の自治体の相談窓口につながる仕組みである。

自治体が参加を見合わせている主な理由として、「予算や相談員の確保ができない」があげられているようである。

確かに、自殺のおそれがある人からの深刻な相談を電話で受けるシステムや人材や、一朝一夕にできることではないだろう。ただ、だからと言って、実施を先延ばしにしていては、せっかく成立した「自殺対策基本法」や「自殺総合対策大綱」が絵に描いた餅になってしまう。

自殺対策には、さまざまな方策が考えられるが、相談窓口の充実ということに限っても、そこには、予算や相談員の養成という課題がある。

相談員には、心理学や精神保健、社会福祉などの知識に加えて、心理カウンセリングの基本とされる受容・共感・傾聴などを含む相談スキルが必須である。
ところが、従来の相談員養成研修の多くは、知識の部分はまだしも、いわゆる「聴く」スキルの習得に多くの時間がかかることが課題であった。(この課題に気づいていない人も多いのが現状であるが……)

しかし、〈対話法〉で使われている「確認型応答」や「反応型応答」という概念とスキルでは、従来の受容・共感・傾聴などがより具体的な形で示されているため理解しやすい。そして、従来と比べて研修時間が節約できるのである。

私は、一昨年から、地域の「いのちの電話」相談員養成講座の講師を担当している。はじめは、「カウンセリングの理論と実際」の部分での1コマだけのピンチヒッターだったが、「確認型応答」や「反応型応答」を導入した実習を取り入れたため、受講者に分かりやすいと好評だったようで、昨年は「カウンセリングの基礎演習」も加わり、担当が3コマに増え、今年は4コマを担当した。
もちろん、一応、カウンセリングの基礎も伝えておく必要があるため、従来の、受容・共感・傾聴という概念も説明はしているが、演習の部分は、「確認型応答」と「反応型応答」のみで行っている。

「いのちの電話」の相談員養成講座での演習を3年間担当して、「確認型応答」と「反応型応答」という概念とスキルの有効性をますます実感しているこの頃である。

受講生が理解しやすいということは、養成にかける時間を、より少なくできるということである。時間を少なくできるということは、それだけ、他の重要な知識やスキルの習得に時間を割くことができることを意味する。あるいは、養成にかける時間全体を短くして費用を節減できることにもつながる。また、重要なスキルを習得しやすいということで、相談者をより多く養成できる可能性が増すであろう。

「いのちの電話」でも、このようであるから、「自殺予防の相談ダイヤル」における相談員養成でも、近い将来、「確認型応答」や「反応型応答」という概念とスキルが導入されれば、予算の削減や相談員の増員に貢献できるのではないかと確信している。

|

2007年7月 7日 (土)

柳田邦男氏が提唱する「確認会話」と確認型応答

日本航空が、数年前に起こった相次ぐトラブルを受け、全社をあげて「確認会話」の徹底を図っていることは、以前、ブログに書いた。また、JR西日本が、尼崎での脱線事故を機に、「確認会話」の手法を社内に導入することを発表したという記事もブログで紹介した。

これらの対策が、その後、現場でどの程度徹底しているかは、私の立場からはわからないが、「確認型応答」を提唱する者として、「確認会話」には大いに感心があるので、少し調べてみた。

まず、インターネットで「確認会話」で検索すると、上位10件中の2〜3件が〈対話法〉関係のページであることに驚いた。これは、〈対話法〉が他のスキル、たとえば「確認会話」などにも応用できるということを記載してあるからだが、その程度の記述でも上位にヒットするというのは驚きである。

なぜ、この様に驚くかと言うと、そのページに「確認会話」という文字を書いたときは、「確認会話」という概念が、もっとポピュラーなものだと思っていたからである。しかし、「確認会話」について調べるにつれ、それが日本航空やJR西日本関連の記事以外ではほとんど使われていないことに驚いたのである。

そこで、私が「確認会話」についてブログで紹介した情報の元になっている文献に当たってみることにした。それが、柳田邦男氏を座長とする、日本航空の「安全アドバイザリーグループ」がまとめた「高い安全水準をもった企業としての再生に向けた提言書」である。この提言書は、冊子として2万5000部が作成され、グループ社員へ配布したそうである。私は、柳田氏らと一緒に作成に関わった人を通じて、その提言書を読む機会を得た。

「安全アドバイザリーグループ」の活動と「提言書」の内容については、日本航空のCSR報告書2006で詳しく紹介されている。
https://www.jal.com/ja/corporate/csr2006/decision/decision4.html

そして、「提言書」に、「確認会話」についての参考文献として、柳田邦男著『緊急発言 いのちへII』(講談社)が記載されていたので読んでみた。
その本には、横浜市立大学付属病院での患者取り違え手術事故の詳細な分析があり、「確認会話」に関しては、実際に医療現場で行われた会話(関係者の証言による)と、柳田氏が提言する「確認会話」を取り入れた会話の例が紹介されている。
この本によって、「確認会話」の実際を、だいぶ詳しく知ることができた。

「確認会話」とは、自分と相手の言動を互いに会話で確認し、正確を期するコミュニケーションの手法である、と柳田氏は定義している。一方、〈対話法〉における「確認型応答」は、「相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめるための応答」と定義されている。細かい表現こそ異なるが、「確認」することの重要性を強調しているという点では、共通していると考えてよさそうである。

『緊急発言 いのちへII』が発行されたのは2001年であるが、いまだに、「確認会話」が広く使われるに至っていないようである。「確認会話」と「確認型応答」、若干趣は異なるとしても、コミュニケーションの質を高めるという目的は同じである。対話法研究所としては、「確認型応答」の普及を通して、事故の予防に役立てるよう活動を続けていきたい。

|

2007年3月29日 (木)

脱線事故の車掌証言にみるコミュニケーションの課題

 2005年4月に起きたJR福知山線の脱線事故(兵庫県尼崎市)で、事故車両に乗務していた車掌が応じた新聞の取材内容が公表された。

参考・引用記事:3月29日3時2分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070329-00000017-mai-soci

 コミュニケーションを研究している私が特に注目したのは、「事故直前に駅でオーバーランした距離の過少申告について、運転士と口裏合わせをした際、乗客への対応で車内電話を途中で切ったことについて『運転士は、(自分が)怒ったと思い、不安だったかもしれない』と語った」という部分である。

 車掌が運転士と電話で会話をしている途中で、男性客からおわび放送を求められたため、運転士との電話を切ったというのである。そのことについて、車掌は、「高見運転士は(口裏合わせの求めに自分が)怒ったと思ったのかもしれない。(切る前に)『まけるよ』とは言っておらず、不安だったかもしれない」と語っている。

 ここでは、「口裏合わせの是非」や、「列車停止装置の設置などの問題」は置いておくが、車掌が語った言葉の中には、コミュニケーションにおけるさまざまな課題が示されていると考えるので、その中のいくつかを次に示す。

○緊急時のコミュニケーションありかたの問題。
○不完全なコミュニケーションに起因する「思い込み」「誤解」などの問題。
○不完全なコミュニケーションへの対処法についての知識とスキルの習得の問題。

 コミュニケーションという観点から考えると、これらの問題が一つのきっかけとなって、大きな事故が起こってしまったと言えよう。

 そして、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会による事実調査報告書では、運転士が車掌から指令への報告内容に気を取られていたため、ブレーキ操作が遅れた可能性があることを示唆している。

 人間の対応能力を超える事態の渦中においては、この事故における運転士や車掌でなくても、誰でも同じような状況に置かれたら、同じような対応をしてしまう可能性が高いであろう。したがって、これらの事故への対応を、個人の責任や人災というレベルで終わりにしてしまうのではなく、どのようにすれば今後に活かせるのかを考え、実行していくことが求められている。
 そして、これらの課題に対して少しでも実効性のある具体的な改善を推し進めたいとの思いで、私は〈対話法〉の普及を提唱しているのである。

 話を戻そう。
 2年近くたっても事故の遺族らに謝罪していない点について、車掌は、「謝りたい気持ちでいっぱいだったが、事故を防げなかったことをうまく説明できるかわからず、そのうち外で人に会うことさえ怖くなってしまった」と述べている。

 この車掌に限らないことであろうが、一般論として、大きな事故の前後の状況や、その時、どのようなことを考え、どのような判断をしたのかということを客観的に語ることは難しい。
 大きな死亡事故の場合は、それに加えて、遺族や負傷者から責められても仕方のない責任のある立場にある者としては、それらの人たちと向かい合って、きちんと謝罪できるだけの精神力をもつことは常人では難しいことであろう。

 このような場においては、感情的な発言のやりとりになってしまうことが多い。そして、それによって、双方が傷ついてしまう可能性が高いのである。これが二次被害である。
 特別なコーディネーターがいない状況で、普段の会話で行なっているように、お互いが自分の言いたいことだけを言い合うだけでは、より傷を深くしてしまう可能性が高いのである。

 このような場において、少しでも冷静に、意義のある話し合いをするためには、原則として、双方が相手の言い分をよくきいて(傾聴)、自分の理解した内容が合っているかどうかを相手に確かめて(確認型応答)、それが合っていたことが確認されてはじめて、自分が言いたいことを言う(反応型応答)というプロセスを踏むことが重要なのである。

 この方法に近いことは、これまでにも、専門家による、さまざまな相談、調停、紛争解決の場面で実践されてきたことではあるが、一般の人が使える「簡略化したスキル」として明文化したのは、〈対話法〉が初めてのことである。

 ところで、日本航空やJR西日本が、一連のトラブルや事故の対策の一つとして、社内での「確認会話」を導入したという報道後、これと関連する「確認型応答」を提唱する対話法研究所のホームページへのアクセス数が増えている。

 これまでも、私たちは無意識あるいは意識的に「確認」をしていたのであるが、今後は、「より意識的に」確認をするスキルと習慣を身に付けることが、コミュニケーションの不全に起因するトラブルや事故を防ぐ第一歩であると考える。

 もちろん、コミュニケーションの改善だけであらゆるトラブルや事故を防ぐことは不可能である。また、人間にはミスやエラーがつきものであるから、完全なコミュニケーションというものもあり得ない。その点は、フェイルセーフ機能などのハードウエアの改善や、組織改革や社員研修の充実など、さまざまな改善が必要である。
 しかし、忘れてならないことは、これらの改善をする全てのプロセスにおいて、関係者相互の「コミュニケーションの質」が結果を左右するということである。

 対話法研究所としては、コミュニケーションの改善によって防止できるトラブルや事故を一つでも少なくするために、コミュニケーションにおいて重要な役割を果たす「確認型応答」の有効性をアピールし続けていきたい。

|

2007年3月21日 (水)

〈対話法〉の効果を実証する試み

 対話法研究所の浅野は、昨年(2006年)末から今年にかけて、「確認スキル」(〈対話法〉で提唱されている「確認型応答」に相当します)を中心とした傾聴訓練が、高校生のコミュニケーションスキル、孤独感、学校生活満足度に与える効果を研究しました。

 なお、今回の研究のように、「傾聴訓練」のみの効果をデータを示して実証する研究は、これまで意外と少なく、とくに高校生を対象としたものは皆無に等しいため、貴重な研究結果であると言えるでしょう。
 また、「確認スキル」の訓練効果は、言い換えれば〈対話法〉で提唱されている「確認型応答」の訓練効果に相当するため、今回の研究は、〈対話法〉の効果の実証を試みたことになるでしょう。
 今後、小中学生を対象として同様の研究が行われることを期待しています。

 研究では、高校3年生(訓練群3クラス90名、統制群3クラス82名)を対象に、「確認スキル」をターゲットスキル(訓練の中心となるスキル)として傾聴訓練を行ないました。

 訓練群(実際に訓練を実施したクラス)では、ホームルームと読書の時間(合わせて20分)を使って、4〜8回にわたり、クラス担任の指導により訓練が実施されました。
 訓練は3人(発言者、確認者、観察者)1組で行われ、発言者が自分の言いたいことを話したあと、確認者が発言者の話の要点を言い返して確認する形で発言と確認を繰り返し、約3分後に発言者と確認者が役割を交替するという方法でした。
 一方、統制群(訓練を実施しないクラス)では、その期間中、通常のホームルームと読書の時間を過ごしました。

 訓練前、訓練終了後、その約1ヶ月後の3回、両群に対してアンケート(心理尺度による測定)を実施しました。

 その結果、傾聴訓練が、「同輩とのコミュニケーションスキル」の低い生徒のスキルを向上させることがわかりました。
 また、もともと孤独感が高い生徒の場合、傾聴訓練により孤独感が低減する傾向にあることがわかりました。
 さらに、学校生活に不満足感をいだいている生徒の場合、傾聴訓練によって「学校生活満足度」が増大することがわかりました。

 このように、今回の研究により、「確認スキル」(確認型応答)のみをターゲットスキルとした傾聴訓練に一定の効果があることがわかりました。

 一般的に、コミュニケーションスキルが不足している、孤独感が高い、学校生活満足度が低い生徒は、さまざまな問題行動を起こしやすいと言われていますが、このような生徒への予防的な教育活動の一環として、「確認スキル」(確認型応答)のみをターゲットスキルとした傾聴訓練を用いることが期待されます。また、学校における「いじめ」問題の対策の一つとしても効果を発揮するものと思われます。

 研究の詳細は、近いうちに、対話法研究所のホームページに掲載する予定です。

|

2007年1月 1日 (月)

確認!やってるつもり

新年おめでとうございます。
今年も〈対話法〉をよろしくお願いいたします。

今年も、東京をはじめ、各地で研修会・練習会を開いていきます。

昨年の後半から、これまでとは違う分野から〈対話法〉の講演を依頼される機会が増えてきました。
そのため、これまでとは違った感想や質問をいただく機会があり、〈対話法〉の普及活動を進めていくうえで有り難いことと感謝しています。

それらのなかから、両極端の二つの感想(質問)を紹介します。

1 「確認」だけでは会話が進まないのではないでしょうか。
2 「確認」はこれまでにもしてきたことだと思います。

1についてですが、〈対話法〉では、確認「だけ」してくださいとは言っていないのですが、人(研修会・講演会の参加者)によっては、そのように受け取ってしまうようです。
これについては、〈対話法〉の説明の仕方をさらに工夫していく必要性を感じています。
改めて言いますと、「確認」は、「必要なとき」にすればいいのです。

つぎに2についてです。
〈対話法〉が提唱する「確認」は、これまで私たちが無意識(自然)に行なってきた「確認」とは「質」と「量」が違います。また、「無意識」に確認するのと、「意識して」確認するのとでは、効果が大きく異なります。

これについては、日本対話法研究会会員のブログ「♪相互理解ができたらいいね♪」の報告「情報の分かち合いに感謝します」が参考になります。

私たちは、比較的冷静なときは、ときどき無意識に「確認」をしていますが、少し感情的になると、多くの場合「確認」を忘れてしまうのです。そのため、お互いの感情がエスカレートして人間関係が悪化してしまうのです。
実は、こんなときにこそ「確認」が必要なのですが……。

つまり、やってる「つもり」の確認から、「やれる」確認に転換することが、今、求められています。
そのためには、どんなときにも意識的に「確認」ができるように、普段から練習をしておくことが大切でしょう。

|

2006年11月13日 (月)

「いじめ」の問題と「聞くこと」の重要性

今日(11月13日)の夜7時からの「NHKニュース7」の中で、このごろ連日のように報道されている学校での「いじめ」の問題に関して、自ら「いじめ」を受けたことのある2人の体験者が、当時の思いを語っていた。

それは、「いじめを受けていることを訴えても、多くの大人は、子どもの話をよく聞きもしないで、すぐに自分の意見を言う。大人は、もっと子どもの話をきちんと聞いて理解してから、意見を言って欲しい」という内容であった。
それに続いて、東京シューレ理事長の奥地圭子さんも、「大人は、はじめに意見ありきでなく、もっと子どもの話を聞いてあげて欲しい」という内容のことを話していた。
どちらも、まずは「聞く」ということを最優先して欲しい、という訴えなのである。(どちらの発言も、記憶に頼って書いているので、細かいところはうろ憶えであるため、文責は浅野にある)

これらのコメントを聞いた時、それが、「自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる」ことを唯一の原則として提唱している〈対話法〉と同じであることに驚いた。そして、〈対話法〉の普及活動に対して、これまで以上の使命感さえいだいたのである。

|

2006年10月13日 (金)

〈対話法〉における「三方よし」の理念

 〈対話法〉の理論と技法は、心理学(特にカウンセリング心理学)やコミュニケーション学を基盤としているが、その普及方法となると、モデルとなるものがなかなか見つからなくて苦慮していた。そのためか、〈対話法〉に一度でも触れる機会があった人からは、〈対話法〉の価値を認めてもらい、少しずつ輪が広がっていくのであるが、その評判や効果の割には、広がり具合が遅々としていることを不思議に思っていたのである。

 一方で、コミュニケーション不全に端を発すると思えるような事件・事故が多発している現在、それらの対策と予防の手段の一つとして〈対話法〉を役立ててもらいたいとの思いは高まるばかりである。

 先日、コミュニティケア活動支援センター事務局長の佐藤修さん(コンセプト・デザイナー/(株)コンセプトワークショップ代表)と話す機会があった。佐藤さんは、〈対話法〉と、その普及活動を応援している貴重な人物の一人である。

 これまで、どちらかというと、〈対話法〉の普及活動は、基本的に無償で行なってきた。もちろん、対話法研究所所長の浅野が、会社・学校・公的機関などに講師として呼ばれるときは、それ相応の講師料をいただくことはある。しかし、所長以外の協力者の皆さん(日本対話法研究会会員)の活動の多くは、交通費もいただかない無償での働きがほとんどだったのである(練習会の会場費程度はいただいている)。

 これが、たいへん有り難く尊い行為だという思いは、いまでも変わらない。しかし、改めて考えてみると、〈対話法〉の普及活動の目的は、「無償で行なう」ことではなく、「普及させる」ことなのである。

 このような話を佐藤さんとしているうちに、普及活動が無償で行なわれているところに、いま一つ広がっていかない原因の一つがあるのではないか、との意見をいただいた。わたしも、おぼろげながら考えていたことではあるが、佐藤さんのように、〈対話法〉に理解のある第三者の方から改めて言われたのを機に、この問題に真剣に取り組もうと考える昨今である。

 なんらかの社会的活動や市民活動をするとき、それが新しい活動であればあるほど、有償で行なうのか無償で行なうのかという難しい選択に直面する。これについて論ずるのは、それだけでも大変なことであるが、〈対話法〉の普及活動も、この問題の渦中にあったと言えよう。

 話の中で、佐藤さんが、ふと、「三方よし」という言葉を漏らした。これは、近江商人の経営の心得・理念として知られる、「売り手よし、買い手よし、世間よし」のことである。〈対話法〉の普及活動は、商人が物品を販売するのとは趣が異なるものの、「三方よし」という理念には、おおいに学ぶところがあると思う。

 〈対話法〉の場合、「売り手よし」とは、講師(世話人と呼ぶことが多い)の物心両面での満足(利益)のことであり、「買い手よし」とは、受講生(参加者)の「心の」満足(利益)のことになる。そして、「世間よし」は、公共の利益(社会貢献)という意味合いである。〈対話法〉では、この理念をモデルとして普及活動を進めていきたいと考えている。

 そして、その第一歩として、東京〈対話法〉研修会を企画した。この形が、有償での普及活動のモデルの一つになれば幸いである。もちろん、時と場合に応じて、従来のような無償での活動も続けていきたい。

 思えば、「自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる」という〈対話法〉の原則自体が、この「三方よし」の理念にかなっている。どちらかが一方的に話したり聞いたりするのではなく、お互いの「発言する権利」を尊重し合うこと、そして、その際に、自分の発言よりも、相手の話をきちんと聞くことを、まずは優先するのである。そして、この原則には明記されていないが、この原則に則った対話による良好な対人関係が、社会における健全な経済活動や福祉の発展に貢献するのである。これは、コミュニケーションにおける「三方よし」の理念の実現の姿の一つなのではないだろうか。

【参考】「三方よし研究所」というのが滋賀県彦根市にある。

| | コメント (1)

2006年10月 3日 (火)

東京〈対話法〉研修会の開催

このたび、対話法研究所は、東京事務所を開くことになりました。
所長の浅野は群馬県に住んでいるため、常駐は出来ませんが、
主に研修会場 として使う予定でいます。

それを記念して、下記の要領で研修会を計画しました。
東京都内では久しぶりの開催になります。申し込みをお待ちしております。

---東京事務所開設記念---

  対話法研究所主催

第3回 東京〈対話法〉研修会

日時:2006年10月29日(日)

  ◇午前セッション 午前10時30分〜午後1時(開場10時)
  ◇午後セッション 午後2時〜4時30分
   (どちらか片方でも参加できます。2セッションの参加も可能です)

会場:対話法研究所東京事務所 東京都文京区本郷3-37-8 本郷春木町ビル9階

   地下鉄「都営大江戸線本郷三丁目駅」から徒歩約5分
      「丸ノ内線本郷三丁目駅」から徒歩約10分

世話人(講師):浅野良雄(対話法研究所所長)

参加資格:「確認型応答」を中心としたコミュニケーション技法を日常の仕事や生活に役立てたいと思っている方ならどなたでも参加できます。

内容:「確認型応答」を使った安心・安全な雰囲気のなかで人間関係の機微を体験しながらコミュニケーション技法を学び合います。いわゆる参加型(講師の話を聞くだけでなく参加者同士が交流する)の研修会です。カウンセリングで使われる傾聴技法の実習にも役立ちます。

◇午前セッションの中心テーマ:〈対話法〉ってなんだろう---〈対話法〉の全体像
◇午後セッションの中心テーマ:相手が言いたいことはなんだろう

参加費:1セッション 3,000円/人(当日会場でお支払いください)
割引料金(初参加者、高校生以下、各地の対話法の会世話人):1セッション 2,500円/人

定員:12人(前日まで受け付けますが、各セッションとも定員になり次第締め切ります)

問合せと申し込み:E-メール institute8@taiwa.org

主催:対話法研究所 ホームページ http://www.taiwa.org/in.html
後援:日本対話法研究会

| | コメント (0)

2006年9月29日 (金)

「JR東日本総合研修センター」訪問

■お知らせ:これまで、ブログ「カウンセリングと対話法を語る」に書いてきた〈対話法〉についての記事は、「対話法入門講座」に移転しました。

9月26日に、私も会員になっているNPO法人「失敗学会」のメンバーと「JR東日本総合研修センター」を訪問しました。福島県・新白河駅からバスで10分くらいの場所にあります。

このセンターは、社員の研修のために設置されたものです。その中に、今回の訪問の主目的である「事故の歴史展示館」があります。「この施設は、過去の事故を忘れることなく、尊い犠牲の上に得られた貴重な体験として大切に引き継ぎ、安全に対する基本姿勢である『事故から学ぶ』ことを目的」(「事故の歴史展示館」パンフレットから引用)として平成14年に開設されました。

そこでは、これまでに起こった大きな鉄道事故(追突、脱線、感電、災害、列車火災など)の概要と対策が、展示パネル、ビデオ、模型などを使って紹介されています。

私は、特に、コミュニケーション・エラーが関った事故に関心がありました。その一つの例として、保線関係者のちょっとした連絡ミスや確認忘れなどが、悲惨な死亡事故につながった事例が紹介されていました。

私は、〈対話法〉を通して、「確認の大切さ」を提唱していますが、「いくら確認をしても、それだけでは防げない事故」や「確認さえ忘れてしまう状況」があることを、実際に起こった「事故の記録」を通して改めて知ることができました。

コミュニケーション・エラーを完全になくすことはできません。ですから、これらの事故を防ぐには、たとえば「自動列車停止装置(ATS)」などのようなメカニズムを使った対策を講じる必要があるわけです。

そして重要なことは、「確認という行為」が全く無力なわけではないということです。日常業務における「ヒヤリ、ハッと」体験を関係者に報告し、その体験をメンバー間で共有しやすい環境をつくるには、「確認型応答」を中心とする〈対話法〉の原則が有効だからです。

要するに、「確認」と「メカニズム」を適切なバランスで併用することが、事故を防ぐ最良の方法なのでしょう。

なお、NPO法人「失敗学会」では、分科会の 『失敗体験ネットワーク』のメンバーが全国の失敗体験に関連する施設を調査して、「失敗体験施設名鑑」として情報をデータベース化していますのでご覧下さい。

参考記事:
事故とコミュニケーション
確認はヒューマンエラーへの対応策
危険性を指摘する発言が許される環境
  

| | コメント (0)

2006年9月19日 (火)

確認が嫌がられる場合(2)

〈対話法〉による確認の言葉が合っていれば、話し手は、嬉しさとともに、さらに自分の気持ちがはっきりします。
しかし、仮に確認の言葉が違っていても、違いが明確になることによって、自分の気持ちが見え始めます。
いずれにしても、確認は、話し手本人にも、聞き手にも益になることです。

しかし、これには例外があります。それは、話し手が自分の気持ちを相手に気づかれたくない場合か、話し手自身が自分の気持ちに気づきたくない場合です。
このような場合に「確認」をすると、話し手から嫌がられる可能性が高いです。

前回は、「話し手が自分の気持ちを相手に気づかれたくない場合」について説明したので、今回は、「自分の気持ちに気づきたくない場合」を説明します。

「自分の気持ちに気づきたくない場合」というのは、もっと詳しく言うと、「自分の中に、はっきりさせたくない(気づきたくない)気持ち(行動を含む)があることを、自分でも気づいていない、そして、気づいていないことにも気づきたくない場合」ということです。

これは、深層心理学や無意識の心理学の領域の話なので、詳しく説明しだすとますますややこしくなってしまう恐れがあります。ですから、ここでは、必要最小限にとどめたいと思います。

例によって、たとえで説明します。

「自分は正直な人間である」と強く確信している人がいるとします。あるとき、自分自身や、ごく身近な人たちに関る重大な利害関係が生じて、どうしても「事実と異なること、つまりウソを言わざるをえない」状況に陥ったとき、「正直な自分」という枠をこわしたくないという観念が強いと、「事実と異なることを言っている」にも関らず、そうしている自分に気づかない場合があるのです。

これは、人間が自分の「心」を守るための、防衛機能の一種です。
いまの例の場合で言うと、自分がしている行動(事実と異なることを言う)を無意識の領域に追いやることによって、自分の心の中にある「自分は正直な人間だ」という自己像を守ろうという機能が働くということです。
逆に、自分がウソをついていることを明確に意識したとすると、「自分は正直な人間だ」という自己像と矛盾するので、心の中で(軽い)パニックが起こってしまいます。

人間は、自然と、できるだけ心が安定するような道を選んで生きています。ですから、せっかく無意識でいるのに、相手からの「確認」によって、心の中を突かれる(明確にされる)のは嫌なことなのです。

       ■発行者からのお知らせ■

昨日(9月18日)、「対話法入門講座」というブログを新たに開設しました。
こちらは、既に発表した文章も含めて〈対話法〉の解説を中心に書いていき、目次を入れた一冊の著書のような形に仕上げていきたいと考えています。

それに伴い、当ブログ「カウンセリングと対話法を語る」は、次回から、タイトルを変更して、日記・エッセイ風の内容を中心に書く予定です。
今後とも、ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月12日 (火)

確認が嫌がられる場合(1)

このブログでは、これまで、〈対話法〉における「確認型応答」は相手に好感を与えるということを主に述べてきました。

つまり、相手の発言に対する確認の言葉が合っていれば、話し手は、嬉しさとともに、さらに自分の気持ちがはっきりします。
また、仮に確認の言葉が違っていても、違いが明確になることによって、自分の気持ちが見え始めます。
いずれにしても、確認型応答は、話し手本人にも、聞き手にも益になることです。

しかし、これにはいくつかの例外があります。それは、話し手が自分の気持ちを相手に気づかれたくない場合か、話し手自身が自分の気持ちに気づきたくない場合です。

このことについて、今回と次回にわけて説明します。
はじめは、「自分の気持ちを相手に気づかれたくない場合」です。

わたしの経験から言うと、確認されることを嫌うのは、自分の発言に自信がない人か、自分の発言の趣旨をはっきりさせたくない、なんらかの意図がある人です。
つまり、なんとかごまかして(ちょっと表現は悪いですが)その場を収めたい人です。

例をあげて説明します。

まずは、自分の発言に自信がない人;

★権威ある立場にある人が、自分でもあまり確信がもてないことを思わず言ってしまったが、それを今さら取り消すわけにもいかず困っているとき。

次に、自分の発言の趣旨をはっきりさせたくない人;

自ら発言しているのに、なぜ「はっきりさせたくない」のかという理由はいろいろあるでしょう。たとえば以下のような場合です。

★いやいや言わされている場合(国会での参考人質疑など)や、立場上発言せざるをえない場合(不祥事に関する謝罪の記者会見など)など。

★相手をだまして自分だけ利益を得ようとしている場合。

などがあります。もちろん、このように特別な場面でなくても、わたしたちの日常には、多かれ少なかれ、これに似た心境(たとえ悪意はなくても)になる状況があると思います。

このような条件下では、わたしたちは、できるだけあいまいなまま事を済ませたいという気持ちになります。つまり、相手から「確認」(または質問)されることを避けたい気持ちになるわけです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年9月 4日 (月)

ファシリテーションと〈対話法〉

以前、中野民夫著『ファシリテーション革命』(岩波書店)を読んだことがあります。この著者は、『ワークショップ』という本も、岩波新書から出しています。

ファシリテーションというのは、「促進する」という意味の英語「ファシリテート」の名詞形です。そして、その役目を担うのが、「ファシリテーター」と呼ばれる人です。

ファシリテーターは、日本語に訳せば、「促進者」とか「進行役」などとなるでしょうが、従来からある単なる司会や進行役とイコールではありません。

ファシリテーターは、グループに参加しているメンバーの個性を尊重しながら、グループ全体の力を最大限に発揮できるように、個人やグループが持っている能力や創造性を引き出したり、グループ機能の成長を促進したりする人のことです。
しかも、これらの活動が、安心してのびのびとした環境のもとでできるような「場づくり」をすることも、ファシリテーターの大切な役割の一つです。

著者は、『ファシリテーション革命』の「はじめに」の中で、「世界の平和を促進するのも、人間関係を上手に取り持つのも『ファシリテーション』である。ビジネス会議を創造的に導くのも、市民参加のまちづくりを推進するのも、参加体験型のワークショップを巧みに進行するのも、『ファシリテーション』である。教育の世界で、一方的に教えるのでなく、興味や関心を引き出したり、市民活動の現場で何かやりたいという人の心に点火するのも、『ファシリテーション』である」と書いています。

これは、じつは、簡単そうで難しいものです。ですから、有能なファシリテーターになるには、さまざまな体験をとおしてファシリテーション技術を培うことが大切です。そして、必要とされる能力の一つとして、参加者への共感や受容を伝えるコミュニケーション技術(主に傾聴)があります。
それは、ある意味で、カウンセラーの訓練と似た部分があります。
もちろん、カウンセラーになるには、共感や傾聴の「熟練」に加えて、精神医学や臨床心理学などの専門的知識が欠かせません。

一方、ファシリテーションにおいて、傾聴は大切なスキルの一つですが、傾聴に限って言うなら、カウンセラーほどには厳密さが要求されないと思います。なぜなら、その場は、心理治療を目的とする場ではないからです。
そのかわり、ファシリテーションでは、カウンセラーとは異なる多くの専門知識や感性が要求されるでしょう。

これまで述べてきたように、ファシリテーション技術の一つとして傾聴がありますから、そこでは、〈対話法〉の「確認型応答」の概念が役立つものと思われます。
今後、ファシリテーションの分野において、従来の傾聴技法に加えて、〈対話法〉の概念とスキルが併用されることを期待しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月29日 (火)

コーチングと〈対話法〉

一昨日(8/27)は、新潟県上越市の上越市市民プラザで開かれた「くびき野市民活動フェスタ2006」という催しに参加してきました。日本対話法研究会の会員である、上越〈対話法〉研究会のメンバーが、イベントの一つとしてワークショップを企画していたからです。

今回のワークショップがユニークだったのは、なによりも、日本コーチ協会日本海チャプターとの共催だったということです。
「聴くことから始めよう」を共通のテーマとして、傾聴に焦点をあてたワークを行ないました。
前半は上越〈対話法〉研究会のメンバーが、後半は日本コーチ協会日本海チャプターのメンバーがファシリテータとなって、それぞれのスキルの説明と基本的な練習である体験型のワークが行なわれました。

私は、コーチングについては、本で読んだだけだったので、私にとっても貴重な体験になりました。

コーチングでは、傾聴に加えて、クライアントに適した質問をする(訊ねる)ところに特徴があります。それによって、クライアント自身がもっている「こたえ」を導き出していくのです。

私も、参加者と2人組でコーチングを体験してみて、自分の「こころ」と「あたま」が活性化していくのを感じました。ただ、ちょっと喋りすぎて、のどが疲れましたが……。

コーチングのデモンストレーションを見ていて気づいたのは、想像していた以上に、傾聴スキル(〈対話法〉では確認型応答と呼んでいるスキル)を使っていたということです。

クライアントに適した質問をするには、相手の発言をできるだけ正確に理解しなくてはなりませんから、きちんと相手の話を聞くことが、やはり第一に必要なのだということを、コーチングから改めて学ぶことができました。

上越〈対話法〉研究会が開いている定例の練習会には、プロのコーチの方も参加しています。
コーチは、傾聴スキルだけでなく、そのさらに先のスキルを身に付けているので、どうして、傾聴スキル(確認型応答)だけを練習する〈対話法〉の会に参加しているのか、常々不思議に思っていたのですが、今回、コーチングを体験してみて、その理由がよくわかりました。

〈対話法〉は、傾聴スキル(確認型応答)だけを徹底的に練習するので、コーチの方にとっても、傾聴スキルをさらに磨く場になっているのでしょう。

ところで、「こころ」が十分に元気で、もう一歩先に踏み出したいという人にとっては、〈対話法〉の確認型応答のみでなく、コーチングのように適切な質問をすることによって、その人が自ずから活性化していきます。

イベントが終了してから、当日参加して下さった、日本海チャプター代表の木伏あづささんと、このような話をしましたが、これからも、〈対話法〉とコーチングで交流を深めて、互いの特徴を学びあっていきたいと思いました。

■主催者による概要報告がありますので、ご覧下さい。
 なお、コーチの立場からの感想としては、「上越でコーチングと対話法」が参考になります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月16日 (水)

相手が言いたいこと(2)

前回の「相手が言いたいこと(1)」のつづきになります。

ここで、例を一つ出してみます。

「今日はいい天気なので、散歩に行きます」

という発言から、この人が何を言いたいのかを考えてみましょう。

「今日はいい天気だ」「散歩に行く」あるいは「散歩に行きたい」

果たして、この人は、本当にそのことだけを言いたいのでしょうか。
それは、たしかにその人が「言ったコトバ」ではありますが、それが「言いたいこと」とイコールとは限らないのです。

人はとかく、「話されたコトバ」だけに捕らわれる傾向があります。もちろん、「コトバ」をよく聞くことは大切なことですが、コトバで言われていない部分も聞き取る、というか受け取ることも大事なのです。

これは、昔から、「言外の意味をくみとる」「行間を読む」「以心伝心」「腹芸」などという言葉でいわれてきたことです。

〈対話法〉の説明の中で、「言ったこと(言葉)ではなくて、言いたいこと(感情・気持ち・思い・意見など)に付きましょう」としているのは、こういう理由からです。

ところで、相手がコトバにしていないところに気づくには、「相手が言いたいこと」を、発したコトバの中だけからいくら探そうとしても、それは無理です。言っていない部分に、実は言いたいことがあるのですから。

そこで、どうしても「想像」(あるいは推測)が必要になってくるのです。しかし、それはあくまでも想像ですから、いくら頑張ってみても、聞き手である自分の主観や先入観が入ってしまいます。しかし、気にすることはありません。

コミュニケーションにおいて、想像、主観、先入観はいけないことである、と勘違いしている人がいます。しかし、わたしはそうは思いません。それらは、決していけないことではなく、そのままにしておいたり、想像を事実と勘違いしてしまうことがよくないだけなのです。

そして、自分の想像が正しいかどうか、つまり勘違いしていないかどうかは、相手に「確認」してみればすぐにわかります。これが、〈対話法〉において「要点の確認」が大切な理由です。

★対話法研究所からのお知らせ★

〈対話法〉バーチャル練習会というページを作りました。

練習会に参加できない方のために、練習会の雰囲気を感じていただく方法として考えられたものです。ぜひお試しください。
ご意見、ご感想をいただければ幸いです。

下記のURLから直接入れます。
http://www.taiwa.org/in/webtaiken/rensyumodel/title.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 8日 (火)

相手が言いたいこと(1)

今回のテーマは、〈対話法〉の中で最も重要な概念です。だからこそ最も難解な部分であるかもしれません。

以前、「確認における着眼点/事実と気持ち」と題して、事実だけでなく気持ちをくみ取ることの大切さをお話しました。
また、前々号では、「省略されたコトバ」という観点から、話し手が省略したコトバを補って聞くときの注意点について考えてみました。

それでは、この二つに共通しているキーワードはなんでしょうか。
それは、「コトバになっていないコトバ」です。

ところで、わたしたちが話をするとき、はたして言いたいこと(気持ちや思いなど)を全部コトバにしているでしょうか。

振り返ってみると、わたしたちは、

1.感情 2.気持ち 3.思い 4.意見

などを省略することが意外と多いのに気づくと思います。

たとえば、

「Tさんのご意見はよくわかりました。(わかったけれど、その意見に従うつもりはありません)」

「きょうは髪形を変えてきたね(なかなか素敵だよ)」

などのように、括弧の中の気持ちをコトバにすることを省略する場合があります。

これにはいろいろな理由があるでしょう。
心理的なものとしては、相手への思いやり、または自分自身を守るために、はっきり言うことを躊躇する場合です。気恥ずかしい場合もあるでしょう。
また、言いたいことを全部コトバにしていたら、いくら時間があっても足りないという、物理的(?)な理由もあるでしょう。

わたしたちは、言いたいことがあっても、それを全部コトバにしない(ときには、言いたいことにさえ気づいていない)ことがあるのです。
逆に言えば、表に出てきたコトバだけをいくら聞いても、相手が本当に言いたいことが伝わってこない場合があるということです。

ですから、〈対話法〉では、「感情や気持ちに着目しましょう」と強調しているのです。そうすることによって、相手が本当に言いたい内容に近づくことができるからです。事実や事柄だけからは、なかなか大事な部分がみえてこないことが多いのです。

-------------------------------------
【お知らせ】

■福島対話法研究会が、「県民運動“ときめき”フェスタ--うつくしま、ふくしま。夢の大交流会--」へ出展します。

と き:平成18年8月20日(日)10時30分〜16時
ところ:ビッグパレットふくしま 多目的展示ホールC(郡山市安積町日出山字北千保19−8 024−947−8010)
入 場:無料
主 催:“うつくしま、ふくしま。”県民運動推進会議
http://www.office-utsukushima.com/

-----------------

■上越〈対話法〉研究会&日本コーチ協会日本海チャプターが、「くびき野市民活動フェスタ 2006」において、「聴くことから始めよう」というテーマでワークショップを開きます。

<ご案内>
聴くことはコミュニケーションの第一歩。それは訓練によって高めることができる能力です。今年は〈対話法〉とコーチングの共同ワークショップで、聴く力を高める練習をご紹介します。

と き/8月27日(日)午前9:30〜12:00 午後1:00〜4:00
ところ/上越市市民プラザ 第7会議室
参加費/無料

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月31日 (月)

省略されたコトバ

わたしたちが会話をするとき、また文章を書くとき、かならず省略という作業(普段は無意識ですが)をおこなっています。
言わなくてもわかるだろうと思われることは省略されます。逆に、自分が強調したいことや、説明しないと相手がわからないのではないかと思えるところはコトバにします。
 
聞き手は、その省略されたコトバを適当に補いながら話を理解していきます。
そこで、話の省略部分をうまく復元できれば「理解」になりますが、話し手の意図と違ったコトバで補ってしまうと「誤解」になります。

ある市民活動をしている友人からこんな話を聞いたことがあります。

あるとき、遠方から講師を呼んで講演をしてもらったのですが、帰りがけに、その講師が、
「例会にはいつもこれくらいしか集まらないのですか?」
と言ったそうです。

友人は、せっかく遠くから講師が来たのに、参加人数が少なくて気を悪くしたのではないだろうかと、心配そうにわたしに話してくれました。

ここで、友人がなぜそう受け取ったのかを、わたしなりに想像してみます。

友人は、一所懸命に活動をしているにもかかわらず、例会への参加者が少なくて、常々悩んでいました。
それで、講師のコトバ、
「例会にはいつもこれくらいしか集まらないのですか?」に、
「せっかく遠くから来たのに残念だ」
というコトバを補ってしまったのでしょう。

しかし、わたしは、この話を聞いたとき、そうは思いませんでした。
というのは、参加者が少ないことはその講師も了解済みだということを、友人が講演を依頼した時点で、すでにわたしは聞いていたからです。

ですから、講師が言ったコトバは、
「一所懸命に頑張っているのに、残念ですね。だんだんと活動が広がっていくといいですね」
という、友人に対する「励ましのコトバ」だった可能性が高いのです。

講師は、友人に対して、あくまでも人数を聞いただけであり、自分の気持ちは言っていません。つまり気持ちが省略されています。なぜ省略したのか、理由はわかりませんが、「言うまでもなく明白だ」、と思ったか、または、「たんに言いにくかった」のでしょう。

この程度の省略は、わたしたちの毎日の生活のなかで日常茶飯に行なわれます。

ところで、コトバを補うときは、善かれ悪しかれ、聞き手の「先入観」や「心理状態」が影響します。これは、人間のコミュニケーションではやむを得ないことでしょう。

ですから、大事なことは、「コミュニケーションではこのような現象が常に起こっているのだ」ということを忘れないことです。そして、特に重要な対話場面では、相手の気持ちを確認することが必要です。
これが、わたしが〈対話法〉を薦めている理由の一つです。

〈対話法〉でいうところの「確認」は、言い換えれば、
「あなたの話を、わたしはこのようなコトバを補って聞きましたが、それでいいですか?」という確認作業のことなのです。

今回の例でいえば、確認の言葉は、

◎人数が少ないので、残念だと思っているんですね。
◎せっかく来たのに、人数が少なくてがっかりしているんですね。

などになるでしょう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月18日 (火)

対立場面こそ練習のチャンス!

 「相手が言いたいことの要点を相手に言葉で確認する」という〈対話法〉の原則が本当に役立つのは、、意見が異なる人と感情的な言い合いになったり、誤解が発端で人間関係がぎくしゃくしはじめた場面です。言い換えれば、多くの人が苦手とする場面で〈対話法〉が役に立つわけです。

 ところが、想像するだけでも分かると思いますが、上に書いたような場面で〈対話法〉を使うことは、実際はかなり難しいことです。
 なぜかと言えば、上記のような場面では、双方が感情的になっているので、「相手の言いたいことを確認する」どころか、相手の言葉を冷静に聞くことさえ難しくなっているからです。

 人間は、感情的になると、相手の言葉が耳に入ってきません。
 〈対話法〉の練習をしてみると分かるのですが、冷静な場合であっても、相手が言いたいことを受けとめることはなかなか難しいのですから、感情的な時はなおさらです。

 しかし、何度も言うように、そのような時にこそ〈対話法〉の原則が役に立つわけですから、いざというとき使えるように練習をしておくのです。それも、できれば、実際の対立場面での練習が重要です。

 〈対話法〉研修会では、はじめから、〈対話法〉が共通の約束事として進められますから、比較的冷静な状態を保ったまま練習ができます。
 しかし、そのような場でも、ときどき対立場面が発生します。それが練習のチャンスになります。

 だいぶ前のことですが、私が講師をしているカウンセリング勉強会で、こんなことがありました。
 私がカウンセリングについて説明をしていると、ある人が、「私はカウンセリングの理論は間違っていると思う」と言い出しました。

 当時の私は、まだカウンセリングの指導を始めて間もないころだったので、突然反論をされて焦りました。そして、なんとか分かってもらおうと、カウンセリングの理論を詳しく説明しました。それによって、なんとかその場は治まったのですが、なんとなく嫌な気分が残りました。

 いま考えると、それは、カウンセリングや〈対話法〉を実際に練習(訓練)する絶好のチャンスだったのです。
 つまり、相手の言葉に反応して説明で応じるのではなく、まずは、相手が言いたいことを確認すべきだったということです。
 また、私が確認するだけでなく、他の参加者の皆さんにも「確認者」の立場になっていただくことも可能でした。
 このように、現実の対立場面で「確認」の練習することは、何よりも大切なことです。

 それ以降も、このように対立する場面を、私は何度も経験しています。そして、それらを確認技法を使ってクリアしてきました。また、参加者の皆さんにも、「確認」が役立つことを目の当たりに体験していただきました。

 あるとき、私がメンバーとして参加していたメーリングリストでトラブル(感情的な批判の応酬)が発生しました。発端は、わずかな言葉の行き違いです。そのうちに治まるかと思って様子を見ていたのですが、それどころか、なんとなく危ない雰囲気になってきました。

 そこで、最悪の状態にならないうちに、私が、「お互いに、自分が言いたいことを書くのを一旦やめて、相手が言いたいことを確認してみてください」と仲介のメールを送ったら、それをきっかけに、即座に議論がかみ合ってゆきました。

 このように、実際の対立間面で〈対話法〉を使ってみることが、最も効果がありますし、一番の練習にもなります。
 慣れないうちは、〈対話法〉に熟練している第三者に仲介してもらうことも必要ですが、慣れてくれば、当事者同士でできるようになります。

 今回書いたことは、〈対話法〉を実際に日常で使えるようになる手順として、たいへん重要なことです。そして、その一つの方法として、研修会などの冷静な場面で、「相手が言いたいこと」をつかむ練習が必要なのです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月 5日 (水)

メールを読むときの注意点

メールを出す際には、できるだけ誤解が生じないように書くことが大切です。
しかし、書く側だけがいくら努力しても、実際には限界があります。

そこで、今回は、メールの読み方、いや、読むときの「心構え」のようなものをお話ししておきたいと思います。

ふつう、文章はきちんと丁寧に読むのがよいといわれますが、メールでは、場合によって、その丁寧さがかえってアダになることがあります。
それはなぜでしょうか。

だれでも経験していることと思いますが、メールを書くときに、十分に推敲している時間がない場合、「必ずしも適切でない語句」を残したまま、あるいは「多少のあいまいさに目をつぶって」送信してしまうことがあります。

しかし、そのメールを受け取った側は、そのつもりになればいくらでも時間をかけて読めるので、じっくり読むほど、不完全な部分が気になってきます。
つまり文章のアラが見えてきます。

そして、不完全な部分や分かりにくいところを、なんとか想像で補おうと努力すればするほど、「書き手の意図とは違った解釈」をしてしまうことがあります。

それもそのはず。もともと、細部にわたる推敲がおこなわれていない文章なのですから仕方ありません。

ですから、

◎メールを読むときは、あまり厳密に(分析的に)読まない心がけ「も」大切です。

ただし、きちんと推敲されたメールの場合は、厳密に読んだほうがいいでしょう。

ちょっと極端な例ですが、たとえば、

「私たちは、たくさんのメールを出しあって、すでに考え方に微妙な違いがあることを確認してきたとはいえないのではないですか……」

のような文章は、読めば読むほど否定にも肯定にも受け取れます。
こんな場合は、その意味を、どちらか一方に決めることは保留にしておきたいものです。

もちろん、ずっとあいまいなままでいいわけではありません。大事な用件の場合は、どちらの意味なのかを、きちんと相手に確かめることが必要です。

そして大事なことは、相手の真意を確かめないまま反論をしたり、自分を否定されたと思って感情的になるのを慎むことです。

つまり、

◎メールによるやりとりでは、ちょっと変だなと思ったら、相手の意図を確かめるまでは、すぐに反応しないことが大切です。

これは、面と向かっての「対話」におけるルールとも共通しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 4日 (火)

対話とメール

「対話」あるいは「会話」は、ほとんどの場合、人と人とが面と向かって即時におこなわれるものです。それが書物や手紙などの「書き物」による情報や意見の交換との大きな違いでしょう。

では、E-メール(以降「メール」と略します)はどうでしょうか。私は、「対話」と「書き物」の中間に位置すると考えています。

簡単に言うなら、以下の二つの特徴があるでしょう。

●時間的な違い:メールは、面と向かっての「対話」に比べれば、はるかにゆっくり進行します。しかし、手紙よりは早いです。

●記録性の違い:「対話」は記録に残りませんが、メールは記録に残りますので、「書き物」に近いです。

さらにいろいろなことが考えられます。

「対話」は、瞬間的に出てくる言葉によってやりとりをしており、そこに、さまざまな形で多くの感情が込められます。また、言い間違いも頻繁に生じます。しかし、聞き手である相手の反応が目に見えるので、即座に言い直しが可能です。

メールは「対話」よりもじっくり考えながら書くことができますが、手紙や文書ほどには時間をかけないことが多いので、書き間違いや、わかりにくい表現をしてしまうこともあります。そこには誤解も発生するでしょう。しかし、相手から返事が戻ってくるまでは、間違いや誤解に気づきにくいです。

これらがメールの魅力でもあり、また危険なところでもあるわけです。

こんなことを考えると、メールを書くということは、「対話」と「書き物」の両方を意識したものになるのではないでしょうか。

さらに言うなら、メール交換は、かなり「対話」に近いものだと私は考えています。というか、「対話」としてとらえておいた方が、メールの危険性も、またその対策もわかりやすくなると思うのです。

ところで、メール交換のなかで、どうして誤解やトラブルが起こるのでしょうか。もちろんお互いの性格の違いや心理的な要因も多々あるでしょう。

しかし、単に書き方を少し工夫するだけで、未然に防げることもあります。またそういう方法を知っていれば、今まで以上に気軽に楽しくメールを書けるようになります。

また、メールには、実は書き方だけでなく、読み方にもコツがあるのです。〈対話法〉において、私が「聞き方」を強調するのと同じく、メールの場合も、意外と読み方が大切なのかもしれません。(次号につづく)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月28日 (水)

「でも」に気をつけて!

雑談の輪の中に入ってだまって聞いていると、同じ事を言っている(ように私には思える)人同士が互いに誤解したまま長々と議論している場面に遭遇することがあります。

時には、「単なる誤解」を「見解の違い」と勘違いしたまま、お互いに譲らず、攻撃し合うことさえあります。これは時間と労力がもったいないと思います。
そこで、なかなかおさまらない場合は、私が〈対話法〉をつかって仲裁に入ることがあります。

たとえば、Aさんが、

「電子メールを使うと、筆無精のわたしでも手軽に連絡ができるので便利です」

と言うと、Bさんが、

「でも、電子メールは相手の表情がわからないから危険性がありますよ」

と言い返します。

すると、Aさんが、

「そんなことないですよ。便利ですよ」

と反論します。

Bさんが、「でも、危険性がありますよ」

        ……

こんなやりとりが延々と続くことがあります。

では、AさんとBさんの、電子メールに関する見解が全く異なっているのかといえば、多くの場合、実はそうではなく、便利さを認めている点では同じということがほとんどです。

では、どうして、意見が対立の様相を呈してしまうのでしょうか。

いろいろな解釈ができるとは思いますが、一つの代表的なパターンを考えて見ましょう。

「でも、電子メールは……」と言うBさんは、実は「電子メールは便利ではない」と言うつもりはなくて、「便利だけれども危険性もある」と言って、Aさんの発言に補足するつもりだったことが考えられます。
でも、Aさんは、これを反論と受け取ってしまったというわけです。

ここで、Bさんが〈対話法〉の原則を使っていれば、こんなことにはならないのですが……。

しかし、実際の会話の中で〈対話法〉をつかうのが難しいとしたら、せめて、「でも」という言葉を使うときには、このような危険性があることを覚えておくといいでしょう。

そして、もしも誤解されていると気付いたら、「反対意見を言いたいのではなく、補足するつもりです」とフォローすることも大切でしょう。
また、当人同士ではフォローが難しい場合は、まわりのだれかが助け船を出すことが必要かもしれません。

注)〈対話法〉の原則についての説明は、対話法研究所のホームページでご覧下さい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月26日 (月)

話し下手のメリット

〈対話法〉やカウンセリングの講師をしていると、「わたしは人と話すのが苦手なので〈対話法〉を勉強したいです」という人と巡り合う機会があります。そういう人は、たいてい上手な話し方、とくに人の気持ちを引き付ける話し方を習いたいようです。しかし、〈対話法〉では、上手に話せるようになることを目的にしていません。(結果的に話し上手になることはありますが)

ただ、〈対話法〉をマスターすると、人から一目置かれることがあります。それは、会議などで、話の要点をまとめて、交通整理をする役割になったときです。
面白い話ができる人の回りには大勢の人が集まりますが、たとえ面白い話はできなくても、この「交通整理」ができる人は、いざというときに頼りにされます。そういう人は、回りから信頼されます。

「自分は話し下手だ」と思っている人のなかには、実は、このような場面で人の役に立てる人が大勢います。なぜなら、「対話の会」などで〈対話法〉の練習をしていると、「話し下手」だと言っている人が、かえって「確認」が上手にできる場合が少なくないからです。

しかし、幸か不幸か(?)、聞くことが上手になると、とかくいろいろな場面で聞き役になってしまい、自分の言いたいことが言えないまま会議が終わってしまうことがあります。それでいいかどうかはケースバイケースですが、そんなときの楽しみ方があります。

そういうときは、他の人のやりとりを聞きながら、「ああ、ここが要点だな」とか「自分だったらここで確認するな」などと考えながら聞くのです。これも楽しいものです。会議に限りませんが、なにも発言しないからといって、会話に加わっていないとは限りません。逆に、一見活発に発言していても、他の人の話を聞いていなければ、会話に加わっていないのと同じことですから、要注意です。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年6月23日 (金)

話の要点といっても2種類ある

コミュニケーションにおいては、 「文章や話の大事なところ(要点)に着目しよう」と言われます。
しかし、大事なところ(要点)が、実は2種類あるということはあまり指摘されていないようです。

その2つというのは、

1.自分にとって大事なところ
2.相手にとって大事なところ

です。

ひとはそれぞれ性格も考え方も違うのですから、多かれ少なかれ、この2つは違っていて当然です。
問題なのは、そのずれに気づかないでいることです。
つまり、相手も自分と同じところが大事なのだろうと思い込んだままでいることです。

思い込み(これはやむを得ないことです)自体が悪いのではなく、思い込みが放置されていることが問題なのです。
話のすれ違いや誤解による対人トラブルは、たいていこのような場合に起こります。

そこで、「自分にとって大事なところ」と「相手にとって大事なところ」は違っていることがある、と認識するだけでも、コミュニケーションの質を高めることができます。

なお、「自分にとって大事なところ」は自分のことなので、比較的分かりやすいのですが、「相手にとって大事なところ」は、いくら相手の立場になって想像してみても、あくまでも想像でしかありません。それが合っているかどうかは、それを相手に確かめてみなければ分かりません。

わたしが〈対話法〉で、「相手が言いたいことの要点の確認」を強調しているのは、このためです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月20日 (火)

確認はヒューマンエラーへの対応策

半年ほど前になりますが、日本航空が、あいついだトラブルを受けて国土交通省に提出した「日本航空グループにおけるヒューマンエラー防止策の再徹底」に関する対策のなかで「確認会話」の徹底をあげているので紹介します。

この「確認会話」は、つぎに述べる「確認」とほぼ同じ意味です。
また、私が提唱している〈対話法〉の「確認型応答」に相当します。

【参考】 「日本航空」の当該Webページ
http://www.jal.co.jp/other/info2006_0131.html

ヒューマンエラーのなかで、コミュニケーションのミスまたはエラーが大きな部分を占めています。これは、一般的に、「言い間違い」「聞き違い」「誤解」「思い込み」などと呼ばれているものです。

それを可能なかぎり防止するには、「確認」という「当たり前な方法を習慣化」することが大切です。

確認というのは、相手が発した言葉の曖昧な部分や疑問に思ったところを、聞き手が想像や推測したままにせず、相手に確かめることを指します。

たとえば、「○○してください」と言われた際に、○○の部分が曖昧なとき、前後の文脈から、勝手に「○○」と決めつけてしまわないで、「○○のことですね」と確かめるのです。ただし、いつもいつも確認をする必要はなく、確認が必要だと思ったときだけでいいのです。

しかし、この当たり前の方法が意外と定着していないのが現状であり、それによるヒューマンエラーがたくさん起こっています。

もちろん、はじめから確かめる必要がない場合もあるでしょうし、逆に、確かめてさえ間違えることもあるでしょうが、せめて、「なにか変だな」と思ったら、遠慮なく確かめられる環境をつくることが重要でしょう。

そして、「確認が奨励される職場環境」が実現したら、ヒューマンエラーはかなり防げるのではないでしょうか。

【参考になるブログ記事】

当ブログから……
事故とコミュニケーション
対話におけるコトバの省略と復元

「少しだけ素敵な妄想」から「機長が語るヒューマン・エラーの真実

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月19日 (月)

誤解を防止する確認型応答

だいぶ前の出来事ですが、ある人から、下記のようなメールを受け取りました。

■ ……○○さんに連絡をすることはメールで断ったのですが……

          (前後の文章は省略します)

この文章を読んで、私はどう理解したら良いかわからず、首をひねってしまいました。前後の文脈からも判定不可能なのです。書いた人は、この文章の問題点に気づいていないのでしょうが……。

まずなによりも、この文章は肝心なことが全部抜けているのです。つまり、誰が断ったのか、誰に断ったのか、全く書いてありません。想像さえもできません。

さらにやっかいなのは、「断る」という語句の解釈が二通りあることに書き手が気付いていないことです。

「断る」には、代表的なものとして 許しを得る・拒否する の二つの意味があります。全く正反対の意味です。これを言葉の多義性といいますが、「断る」の場合、同じ言葉でこんなに意味が違うのは珍しいことです。

私は心理カウンセラーをしているので、カウンセリングの面接ではもちろん、日常生活でも、言葉の多義性には常に気を配っています。

ここで、カウンセリングでの失敗談を一つお話ししましょう。

カウンセリングは、相手(クライエント)の話を聞くことがメインになるので、一所懸命に聞くのですが、あるとき、クライエントから、「先生、もっと聞いてください」と言われました。私はとっさに、自分の聞き方が悪いのだと思い、ますます真剣に聞いたのですが、それにも関らず、「もっと聞いてくださいよ……」と言うのです。

おかしいなと思って、よくよく話しあってみたら、クライエントが言う「聞いてください」は、「分からないことがあったら聞いてください(質問してください)」という意味だったのです。にも関らず、私は、「質問」とは全く逆のことをしていたわけです。

このような誤解は、日常にはたくさんあります。笑い話で終わる内容や程度ならいいのですが、誤解から対人トラブル、さらには大きな失敗や事故に発展(?)してしまうこともありますので、気をつけなくてはなりません。

コミュニケーションって難しいですね。特にメールは、書き上がった文章を推敲しない場合が多いので、誤解の宝庫(?)になりがちです。

そこで、メールに限ったことではないのですが、相手との対話(メール交換も対話の一種です)の中で、「なにかおかしいな(変だな)」と思ったら、気付いた時点で相手に、「それは〜という意味ですか」あるいは「私は〜というふうに理解しましたが、これで合っていますか」という「確認型応答」をすることが、トラブルを防ぐ一番確かな方法です。

方法は、いたって単純ですが、意識的に実行している人は意外と少ないものです(無意識にやっている人はたくさんいます)。
また、私の経験と研究によると、この「確認型応答」を使えば、コミュニケーションが原因となる、多くの対人トラブルを防止・解消することができます。

言葉の解釈の違いによる誤解を少しでも防いで、より快適な対話や話し合い(メール交換を含む)をしましょう、というのが、私が〈対話法〉を提唱している一番の理由です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月17日 (土)

対話におけるコトバの省略と復元

わたしたちが会話をするとき、また文章を書くとき、無意識のうちに、かならず「省略」という作業をしています。
「これは言わなくても相手に伝わるだろう」と思われるコトバは省略されます。逆に、強調したいことや、詳しく説明しないと相手がわからないのではないかと思えるところはコトバにします。

一方、聞き手は、その省略されたコトバを適当(適切)に補いながら話を理解してゆきます。
そして、話し手が省略した部分を、聞き手がうまく復元できれば「理解」になります。しかし、話し手の意図と違ったコトバを補ってしまうと「誤解」になります。

ところで、コトバを補う(復元する)プロセスには、善かれ悪しかれ、聞き手の「先入観」や「心理状態」が影響します。人間同士のコミュニケーションでは、これはやむを得ないことです。

大事なことは、「コミュニケーションでは、このような現象が常に起こっている」ということを忘れないことです。
そして、特に重要な対話場面では、自分の理解が合っているかどうかを相手に確認すること(確認型応答)が必要です。これが、わたしが〈対話法〉を薦めている理由の一つです。

〈対話法〉でいうところの「確認型応答」は、言い換えれば、
「あなたの話を、わたしはこのようなコトバを補って聞きましたが、それでいいですか?」
という確認作業のことなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月14日 (水)

応答の「種類」

日頃、「話す」とか「応答する」などと、なにげなく言いますが、実は、話し方(対応)にもいろいろな種類があります。
そこで、よくあるパターンから順に記載すると下記のようになるでしょう。

1)相手の話を受けて、それに関して自分の頭の中に湧いたことを話す。(自他重視)
2)相手が話したことに関係なく、自分の頭の中にあったことを話す。(自己中心)
3)相づちを打ちながら聞くだけ。(相手中心1)
4)相手が言ったことを確認はするが、自分の意見や考えは言わない。(相手中心2)

これらのうち、2は、対話としては問題外ですから、ここではあえて説明しません。

1、3、4は、どれがいいということではなく、時と場合によって、適切な方法を選ぶことが大切です。

では、時と場合とは実際どういうことなのかということを説明します。

1は日常の会話の中で、最も多いパターンだと思います。お互いが気楽に気持ち良く対話できるのはこのパターンのときでしょう。
話の内容がさほど重大かつ深刻でなく、また比較的誤解が生まれにくい話でしたら、1が理想でしょう。

3と4は、カウンセリング(特に初回のカウンセリングの場合)における主な対応の仕方です。なぜかと言えば、話の内容が重要かつ深刻で、かつ心理的に微妙な領域の事柄を扱うからです。相手の話を十分に聞いてからでなければ、とてもアドバイスなどできません。

ところで、日常の会話(カウンセリング以外)でも、相談の色合いが濃いものや、重要な会議などのように、微妙なニュアンスを誤解なく伝え合わなくてはならない場合があります。

そのようなとき、はたして1の対応でよいのだろうか?というのが、私が〈対話法〉を通して訴えたいことの一つです。

上に書いたような場合は、本格的なカウンセリングではないにしても、部分的にはそれ(カウンセリング)に近い対応が必要だと思われます。
そして、そのためには、「それに近いような対応」を練習しておく必要があるのです。
なぜなら、ほとんどの人は、3や4を意識的に学んだことがないので、必要なときに実行できるとは限らないからです。

また、私がここで言っている「それに近いような対応」は、カウンセリングの技法より易しくなければなりません。なぜなら、だれでもが比較的簡単に使えなくてはならないからです。
そこで、最低限これだけできれば大丈夫ということで、〈対話法〉の原則を決めました。

【対話法の原則】
自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる。

実際の場面で、「相手の話を確認すること」と「自分の考えや気持ちを言うこと」のどちらにどれだけのウエイトを置くかは、話の内容や相手との信頼関係、そして何よりもその「対話の目的」によって違ってくるでしょう。
そこのところは、経験(あるいは〈対話法〉の練習会)から学んでいただくしか方法はありません。もちろん、多少失敗しても、失敗のあとの「確認」さえ忘れなければ、きちんと軌道修正はできますので、心配はありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月10日 (土)

確認における着眼点/事実と気持ち

〈対話法〉の「確認型応答」では、「相手が言いたいことの要点」をとらえることの重要性が強調されていますが、相手の話のどこに焦点を当てるかによって、「確認」の言葉はずいぶんと違ってきます。

例として、まず下の文章を読んでみてください。

「明日は日曜日なので家でゆっくできるから楽しみです」

文章なら、このように書くこともありますが、これが話し言葉ですと、いくつかの語句が省略されて、以下のどれかになる場合が多いのではないでしょうか。

「明日は日曜日だね」
「明日は家にいるつもりです」
「明日はゆっくりできるなあ」
「明日は楽しみだぞ」
「明日は日曜日だから家にいるよ」
「明日は日曜日だから家でゆっくりしようかな」
「明日は日曜日なので楽しみだ」
「明日は日曜日なのでゆっくできるから楽しみです」
「明日はゆっくできるから楽しみだぞ」

たいていの場合、話し手にとって、「これは言わなくても相手に伝わるだろう」と思われる語句が省略されます。
そして、往々にして、「気持ち」を伝えたいのに「事実」だけ言ったり、「意思」を伝えたいのに「気持ち」だけにとどめておいたりということが起こります。
実際、話し手はそこまで意識していないことが多いでしょうが……。

一方で、私達が人の話を聞くときは、語句が省略されているいないに関らず、相手が何を言いたいのか、何を伝えたいのかを想像しながら受け止めています。

しかし、語句が省略されていることが原因で、時には大きな誤解が起こることがあります。

本来、これは、「言いたいことをきちんと言語化していない話し手の責任(?)」なのですが、そればかり言っていては始まらないので、聞き手も努力しようというのが、〈対話法〉における「確認型応答」のねらいの一つなのです。

その努力をするうえで、事実・考え・思い・気持ち・意思を区別できるかどうかが一つのキーポイントになります。

ここで、元の文章に若干の語句を補って分類すると下記のようになります。

明日は日曜日です;事実
家にいるつもり;意思
ゆっくりできる;思い
楽しみ;気持ち

「確認」をする場合、これらの言葉の中から、「相手が言いたいこと」を想像してみることが大切です。

こうして、「事実・考え・思い・気持ち・意思」の区別ができるようになると、コミュニケーション技術は大きく前進します。
もちろん、人間の心に関することなので、数学や物理学のように、その違いを厳密に区別できるようなものではありません。境目ははっきりしないこともあります。しかし、だいたいの区別はできるはずです。そして、この、「だいたいできる」ということが、意外と大きな違いになって現れてくるのです。

ところで、「想像」を入れると、さらに一歩進んで、仮に、相手が言葉にしていないことも「確認」できることになります。もし、確認の内容が違っていたとしても、気にすることはありません。「確認すること自体」に意義があるのですから……。

ですから、たとえば、

「明日は日曜日だね」

とだけ言われたときでも、想像を交えて、

「楽しみなんだね」

と「確認」することが可能なわけです。

もちろん、「確認」の言葉は、この一つに限られるものではありません。
そして、一般的に、「事実」だけでなく「気持ち」にも着目した確認が大切です。

注)ここでは、〈対話法〉を例にして事実と気持ちの区別について説明しましたが、これらは、もちろん、従来の「積極的傾聴」でも重視されてきたことです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月 9日 (金)

コミュニケーションの成功率

わたしは、コミュニケーションはキャッチボールのようなものだとか、対話の練習はスポーツのようなものだと常々言っています。もちろん、他にもそのように言っている人はいます。

そこで、たとえついでにもう一つ付け加えます。
それは、スポーツと同じで、いつも成功する(うまくいく)とは限らないということです。

たとえばサッカー。シュートをしても必ず得点(ゴール)になるとは限りません。たくさんの失敗(スポーツではこのような言い方はしないと思いますが)があります。それでも、練習を積んだ能力のある選手は、数回に1回は、得点につながるシュートができます。

次に野球。一流選手といえども、毎回ヒットやホームランを打つとは限りません。上手な選手ほどヒットを打つ確率は高くなりますが、100%ではありません。

もう一つ相撲。さすがに横綱、大関などの上位陣になると、勝ち星の方がはるかに多くなりますが、下位のうちは、負けよりも勝ちが少しでも多ければ昇進してゆきます。つまり、50%以上勝てればオーケーなのです。

このように、全国レベル、世界レベルの選手でさえ、100%の成功率(得点率)があるわけではないのです。それくらい、人間相手の対戦(?)というのは確実性が低いことなのです。
コミュニケーションもある意味で「相手との対戦(勝ち負けはありませんが)」ですから、失敗があって当然です。要は、失敗を失敗のままにしなければいいのです。

日常の人間関係やコミュニケーションにおいてもこのようなことですから、まして、新たなスキルである「確認型応答」を試みて失敗したとしても、気にすることはありません。
数回のうち、たとえ1回でもうまくゆけば、それは大きな前進です。

失敗が即人命にかかわるとか、大きな経済的損失を被るような分野では、失敗は限りなくゼロに近いことが要求されます。そのかわり、複数の人によるチェック体制や、フェールセーフと呼ばれる機械的な安全装置が使われています。

しかし、日常のコミュニケーションでの多少の失敗は修復可能(対応が遅すぎると大きな問題になることがありますが)ですから、あまり神経を使う必要はないでしょう。「確認型応答」は、その修復のためのスキルにもなります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月 7日 (水)

私たちは無意識に傾聴していた

このブログの中で、傾聴あるいは「確認型応答」の大切さについて書いているが、私は、多くの人が日常の活動の中で全く傾聴ができないとか、一度も傾聴をしたことがないとは思っていない。
ただ、自分がしている、あるいはしていた行為が傾聴というものだというふうに認識していないだけだと思う。これは、ほとんどの人が、傾聴を知識やスキルとして教えてもらったことがないのだから仕方がないことである。

ところで、人付き合いが上手、対人関係がスムーズにできる、人から好感がもたれる、さらには、顧客から信頼され営業成績が高い、と認められている人たちは、どこかで傾聴を習ったか、あるいは、数々の実体験の中から自然と体得していったのであろう。もちろん、これらの能力は、傾聴スキルだけによるものではないけれど。

企業の管理職や医療・保健の専門職を主な対象として研修を行なっている産業医科大学の三島徳雄助教授らは、研修会の参加者はすでに傾聴を実践している(少なくとも部分的には)のだが、実際にどのような聞き方が傾聴であるかを意識していないために、傾聴が思うようにできないだけである、と考えている。

私も、この見解に賛成である。
これらの人たちが、これまで業務をうまくこなしてこられた(時には失敗もあったろが)からには、全く傾聴をしていなかったということは考えられない。単に、それらの行為に、「傾聴というラベル」が貼られていなかったため、自分が傾聴をしていることを意識していなかっただけだと思う。
同じ行為でも、意識して行なうのと、無意識あるいは、たまたま運良く(?)行なうのとでは、結果に大きな違いが出てくる。意識していないと、せっかくの効果的な行為も、必要な時に再現できないからである。

ここで、もう一度、先の三島助教授らの文章から引用する。(括弧内は浅野による補足)
---------------
(管理監督者は)管理監督者という仕事柄、指示、命令、アドバイスなどで部下や周囲の人間を援助するのが普通だと考えている。すなわち、「傾聴することが他者を援助することになる」ということが知られていない。そのために、援助の手段として傾聴することを選択していないだけである。
---------------

こう考えてみると、傾聴を意識的に実践することへのハードルは、私たちが思っているほど実際は高くないのかもしれない。

【参考文献】
三島徳雄・久保田進也・永田碩史 2004 管理監督者の資源を活かした職場のリスナー研修 心身医学,第44巻第12号

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年6月 5日 (月)

カウンセリング・傾聴・〈対話法〉の違い

このところ、〈対話法〉とカウンセリング(特に来談者中心療法)、さらにはカウンセリングの「積極的傾聴」との違いについて質問されることがたびたびあります。
そこで、若干難しい話になるかもしれませんが、このことについて私が考えていることを書いてみます。

違いをひとことで言うならば、〈対話法〉とカウンセリングは目的が違います。

〈対話法〉の目的は、誤解の少ない快適なコミュニケーションの実現ですが、カウンセリングの目的は、主として悩みやトラブルの解消(ゼロにするのは難しいですが)です。

つぎに言えることは、〈対話法〉はカウンセリングの一部である「積極的傾聴」含んでいるということです。
ただし、一部とは言っても、コミュニケーションを担うたいへん重要な部分です。

では、〈対話法〉と「積極的傾聴」はどこが違うのかということになりますが、この違いを文章だけで説明するのはたいへん難しいことです。
しかし、「難しい」だけでは答えにならないので、要点だけでも言葉にしてみます。

■〈対話法〉は、カウンセリングにおける「積極的傾聴」の本質を残しながらも、カウンセリングという特定な視点ではなく、コミュニケーションという、より一般的な視点を重視して簡略化したものである。

と言えるでしょう。(ますます分かりにくくなったかもしれませんが……)

〈対話法〉とカウンセリングは違うものです。しかし、カウンセリングの重要な部分である「聞き方の技法」としての「積極的傾聴」と、かなり似ています。
一見しただけでは、ほとんど見分けがつかないだけに、違いを認識してもらうにはなかなか苦労するところです。

でも、「積極的傾聴」でなく、わざわざ〈対話法〉としたことには、私なりの大きな理由があります。

その一番は、「肝心なところを誰にでも学びやすくした」ことです。

その一例が、「自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる」という、具体的な原則の設定です。

「学びやすい」ということは、実践が容易になるということです。

〈対話法〉と「積極的傾聴」の違いは、見た目にはわずかな差でしかありません。しかし、この初期の「わずかな差」が、結果的には意外と大きな違いになります。
たとえてみれば、Y字型の分かれ道で、はじめは少ししか離れていないのに、進めば進むほどその間の距離が離れていくようなものでしょうか。
カウンセリングと〈対話法〉の間には、はじめから、もっと大きい違いがあります。

しかし、念のために言っておきますが、この「違い」は、どちらが良くて、どちらが悪いという意味での違いではありません。
カウンセリングにはカウンセリングの目的、〈対話法〉には〈対話法〉の目的があるのですから、違っていて当然です。ただし、勉強する段階でも、できれば、目的によって、カウンセリングと〈対話法〉を使い分けた方がいいと、私は考えています。

お断り:この記事の中では、カウンセリングと積極的傾聴を、厳密に区別しないで論じています。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年5月31日 (水)

自分の話も「傾聴」してもらうには

傾聴スキル(相手の話をよく聴いたあと、自分が理解した内容が合っているかどうか相手に確かめる)を習って、その有効性を実感すると、とかく日常の生活の中で傾聴をする「役回り」になりやすい。
それはそれで、相手(話し手)にとっては気持ちがいいことなので、いい人間関係が継続する可能性が高い。

しかし、いつも傾聴していると、つまり聞き役に回っていると、疲れたり、たまには自分の言いたいことも思いきり言いたくなることがある。
そんな時は、自分の話を相手に傾聴してもらえると嬉しいのだが……。

しかし、「傾聴が大事です」「傾聴しましょう」と説かれることは多いが、相手に「傾聴してもらいましょう」といわれることは少ない。
いくつか理由はあろうが、その一つとして、「傾聴スキルは受容や共感が関ってくるので難しいから、それらを習っていない相手に要求しても無理である」という暗黙の了解があるのではないだろうか。

その点、〈対話法〉では、従来の傾聴スキルを、あえて受容や共感という概念を使わずに、「相手が言いたいことの要点を相手に言葉で確認すること」というふうに簡略化しているため、難しい理論や概念を知らなくても、だれでも傾聴に近いことができるのである。
したがって、自分の話を相手に「傾聴」してもらいたい場合は、たとえば、「私が言いたいことの要点だと思われるところを、言ってみてもらえませんか(つまり確認型応答)」とお願いするだけでよい。
もし、相手の確認型応答が違っていれば、たとえば、「本当は〜ということを言いたかったのです」と訂正すればいいのである。

 各地の対話法研究会では、参加者同士で〈対話法〉を練習しているが、その会での対人関係がうまくいっている理由として、〈対話法〉の原則、あるいは確認型応答という共通ルールの存在が大きい。また、相手にも聞いてもらえる時間が確保されていることが、一部の人だけが傾聴をして自分のエネルギーを持ち出すことを防ぐために大きな働きをしていると思われる。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2006年5月28日 (日)

メーリングリストでのトラブル対応における対話法

私が管理者をしていた、あるメーリングリストで、以前こんな経験をしたことがあります。

ある日、メンバーの一人であるSさん(ハンドルネーム)が、メーリングリストの運営方法について、意見を投稿しました。
その内容や書き方が肯定的・建設的なものなら、なんら問題なかったのですが、実際それとは正反対の否定的・攻撃的(本人の意図は違うのかもしれませんが、私にはそう感じられました)なものだったのです。

案の定、メーリングリストは険悪な雰囲気になりました。
Sさんが、「〜について、管理者に説明を求めたい」と書くので、私が冷静に丁寧に説明しましたが、「管理者は逃げている。そんな言い訳では、とうてい納得できない。だれもが納得できる説明を求める」と言うので、私はさらに知恵を絞って説明したのですが、一向に納得してくれません。
そのうち、他のメンバーまでもが論争に参加してきて、終いには収拾がつかなくなりました。

そもそも、「だれもが納得できる説明」というのは、ほとんど不可能なことでしょう。また、説明とか議論というものは、お互いに理解し合おうという気持ちが双方にないと、いくら言葉を尽くしても分かり合えないものでしょう。

困った私は、ふと、「これが〈対話法〉(またはカウンセリング)だったら、どのように進めるだろうか」と考えました。
〈対話法〉の基本は、相手の発言の内容から、相手が何を言いたいのかを受けとめて、それを相手に確認することです。

さて、攻撃的(?)な書き込みをしているSさんは、本当は何を言いたいのだろう。
そこで気付いたのが、Sさんは、

「このメーリングリストをより良くしたい」

という気持ちがあり、本当は、それを言いたいのではないかということでした。
そこで、さっそく私は、

「Sさんは、このメーリングリストを良くしようと思って、たくさんの発言をしているのですね」

というコメントを書き込みました。
すると、驚くことに、その後のSさんの発言が、急に建設的になったのです。

後から考えたのは、最初のSさんの攻撃的(?)な発言に触発されて、こちらが防衛姿勢になってしまい、その姿勢(Sさんには逃げと映った)がSさんを益々刺激してしまったのではないかということです。

メーリングリストで発生するトラブルには様々な原因があるので、「この言葉」を言えば必ず解決するといえるほど単純ではありません。
しかし、この経験から、〈対話法〉の原則(つまり傾聴)を優先した対応が多いに役立つのではないかと、私は改めて思いました。

参考になるブログ記事
ネット荒らし対策でも広がる『傾聴』の技
---ネット上のバーチャルな世界でも「傾聴」が注目されている---

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年5月17日 (水)

共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!(1)

カウンセリングを習っている段階では、共感の内容(カウンセラーの応答)が違っていると、講師(あるいは世話人)から(時には厳しい)指摘を受ける。これは、適切な共感的(感情移入的)理解ができるように訓練することがカウンセリング研修の目的であるから当然のことかもしれない。

しかし、実際のカウンセリング場面では。共感の内容が少しくらい違っていても、ほとんど問題ではない(もちろん違いが多すぎると信頼されなくなるので要注意だが)。
まして、日常生活での傾聴場面における多少の違い(失敗)は、まったく問題ではないだろう。むしろ、少しばかりの「失敗」を恐れるあまり、違っている可能性のない「繰り返し」「オウム返し」だけで応じることの方が問題だと思う。

なお、ここでいう「繰り返し」「オウム返し」とは、相手の発言の全部(短い発言の場合)、あるいは一部(長い発言の場合)を、そっくりそのまま(わずかな言い換えも含む)の言葉で言うことを意味する。

たとえば、ある女性が、「私、どうしても友達が欲しいんです。でも、近付こうとすると、いつもサッと逃げられて、その度に傷付いてしまいます。それで、家に帰ってから、自分でも何だかわからないけれど、母親に当ってしまうんです。母親に悪いなあってことはわかっているんですけど……」(浅野良雄・妹尾信孝著『輝いて生きる』から抜粋)と、悩みを訴えたとする。

「繰り返し」「オウム返し」とは、これに対して、単に機械的に、

「傷付いてしまうんですね」
「母親に当たってしまうんですね」
「母親に悪いなあと思っているんですね」

などと応じることを指している。

つまり、私は、「繰り返し」「オウム返し」という用語を、「単に機械的(テープレコーダーの再生か、文字通りオウムのように)に同じ言葉を反復する」という意味で使っている。
(他の人もほぼ同じような意味で使っていると思われるが、「繰り返し」「オウム返し」について詳細に検討している文献がほとんどないのでなんとも言えない)

もちろん、人間は機械やオウムではないから、相手の発言内容を少なからず「理解」した上での応答だろうが、相手にとっては、本当に理解された上での応答なのか、口先だけの応答なのかという判別がつきにくいところが、「繰り返し」「オウム返し」の大きなデメリットの一つである。

ただし、一つだけ例外がある。
「その言葉に、相手にとって重要な感情が込められている」と聞き手が感じた時(これができるようになるには適切な訓練と経験が必要)は、その言葉を変えずに応答することがある。

たとえば、上の例で、
「私、どうしても友達が欲しいんです」
というところに感情が込められていると聞き手が感じた場合、

「どうしても友達が欲しいんですね」

と応答することがある。

しかし、ここで大事なことは、「どうしても友達が欲しいんですね」という言葉を「繰り返し」「オウム返し」したのではなく、その言葉が、相手が言いたいこと(考え・気持ち・感情など)の「要点」だと聞き手が感じたから、その言葉をそのまま使って応答したということである。

この場合、一見「繰り返し」「オウム返し」のように見えるが、そのように応じた理由も目的も、「繰り返し」「オウム返し」とは全く異なっている。

私がカウンセリングを習った、ある先生は、「共感的理解の結果、たまたま相手の言葉の『繰り返し』になることはあるが、はじめから『繰り返しをしよう』と思ってするのではない」と説明していた。

ここでまとめておくと、聞き手の応答において、

■共感的理解の結果が、一見「繰り返し」「オウム返し」に見える応答になることはあっても、
■「繰り返し」「オウム返し」が、共感的理解をしたことにはならないということである。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2006年5月16日 (火)

コミュニケーション・ミスの原因と対策

〈対話法〉は、信頼関係を築いたり、対人関係をスムーズにするということだけでなく、組織や団体、学校など、多くの人間が「言葉」を交わす場におけるコミュニケーション・ミスの修復や予防にも役立つ。
(信頼関係とコミュニケーション・ミスは大いに関係しているが、また別の機会に書いてみたい)

コミュニケーション・ミスは、コミュニケーション・エラーとも呼ばれる。
どんな意味なのか簡単に言うと、人間がすることに完全はないため、あらゆるコミュニケーション場面において、無意識的(故意を含むこともある)に起こる「言い間違い」や「聞き違い」(それ以外にもたくさんの種類がある)などのことである。
そして、コミュニケーション・ミスを論じる(原因を探したり対策を考えること)場合に重要なのは、基本的に特定の個人に原因や責任があるわけでなく、それは、「コミュニケーション」という行為自体がもっている宿命であるという認識である。

しかし、先にも書いたように、多くの場合、無意識的であり、誰に責任があるわけではないにも関らず、それが一因になって、人間関係が悪くなってしまうこともあるため、コミュニケーション・ミスは放置できない。
そして、〈対話法〉で提唱しているのは、それを「確認型応答」で防ごうとする方法である。

もちろん「確認型応答」だけでは完璧とは言えないので、他にも様々な対策が必要である。

コミュニケーション・ミスの分析については、「小野和俊のブログ」などが面白い。

また、この記事を教えてくれた、「無量大数」のブログも参考になる。

もっと詳しく知りたい人は、たとえば、

■西川一廉・小牧一裕著『コミュニケーションプロセス』二瓶社

などの専門書を参考にしてほしい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月14日 (日)

受容・共感・傾聴は「繰り返し」や「オウム返し」でいいのだろうか?

これは、以前から疑問に思っていたことである。

カウンセリングでは、受容・共感・傾聴が重要なスキル(技法)だ。
これは、疑いないことだと思うが、それを、カウンセリングの入門講座で習うとき、しばしば、「繰り返し」や「オウム返し」という技法の形で説明され、実技指導されることがある。もちろん、指導者によって違いはある。

また、カウンセリング関連の専門書でも、「繰り返し」や「オウム返し」などが、
あたかも受容・共感・傾聴の具体的な方法であると説明されているものがある。

ところが、受容・共感・傾聴について研究・提唱した当のC・R・ロジャーズは、
「繰り返し」や「オウム返し」を勧めてはいない。
なぜなら、「繰り返し」や「オウム返し」には、多くの問題があるからだ。

私が提唱している〈対話法〉、特に「確認型応答」という概念と技法は、この問題点をなんとかクリアしたいという切なる思いにより考案したものである。

どこが問題なのかということや、では、どうすればいいかということについては、
すでに対話法研究所のホームページや著書で書いている。
しかし、その後気づいたことや、ロジャーズの論文から紹介したい部分も多々
あるので、このブログで、追々書いていく予定である。

参考:
自分の「繰り返し」が他のメンバーに違和感をもたれたという体験談が書かれたブログの一文を紹介する。
正解があるなら聞きたいが…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月11日 (木)

興奮と冷静の切り替え

昨晩、NHK総合で放映されたクローズアップ現代の、「脳科学で防ぐ“キレる子”」を見た。
思い切り心身を動かして楽しく遊ぶ状態と、遊びを終わらせて冷静な状態に戻るときの気持ちの切り替えの方法を、体験を通して学んでいくことの重要性が、脳科学の観点から理解できた。
この番組については、たくさんのブログ記事があるので、いくつかを紹介する。

脳科学的にみても親子のコミュニケーションは大事みたいです

周囲は心の鏡

じゃれつき遊び

〈対話法〉の練習は、冷静に相手の言葉を聞くことを通して自分の感情をコントロールする訓練にもなっている。
このような心の働きが、脳科学の研究からさらに解明されることを願っている。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

感情が「目で見える」IT機器

昨日の「東京新聞」で、話し手の感情が三色の光の変化として見えるようにする「言花」(KOTOHANA)のことが紹介されていた。

〈対話法〉の効果の研究にも使えそうだと思い、ネットでいろいろと検索しているところだ。

そもそも感情というものは、客観的なデータ(たとえば数値化されたもの)として取り出すことが難しいので、カウンセリングや、〈対話法〉などのコミュニケーション技法に関する科学的な研究がなかなか進まない。

「言花」のような機器の精度が向上して、もっと安価になれば、人間の心理やコミュニケーションの研究にも大いに貢献するのではないかと思っている。

「言花」に関するブログ記事:気持ちを光で表現する「言花(KOTOHANA)」

| | コメント (2) | トラックバック (1)