2007年7月 7日 (土)

柳田邦男氏が提唱する「確認会話」と確認型応答

日本航空が、数年前に起こった相次ぐトラブルを受け、全社をあげて「確認会話」の徹底を図っていることは、以前、ブログに書いた。また、JR西日本が、尼崎での脱線事故を機に、「確認会話」の手法を社内に導入することを発表したという記事もブログで紹介した。

これらの対策が、その後、現場でどの程度徹底しているかは、私の立場からはわからないが、「確認型応答」を提唱する者として、「確認会話」には大いに感心があるので、少し調べてみた。

まず、インターネットで「確認会話」で検索すると、上位10件中の2〜3件が〈対話法〉関係のページであることに驚いた。これは、〈対話法〉が他のスキル、たとえば「確認会話」などにも応用できるということを記載してあるからだが、その程度の記述でも上位にヒットするというのは驚きである。

なぜ、この様に驚くかと言うと、そのページに「確認会話」という文字を書いたときは、「確認会話」という概念が、もっとポピュラーなものだと思っていたからである。しかし、「確認会話」について調べるにつれ、それが日本航空やJR西日本関連の記事以外ではほとんど使われていないことに驚いたのである。

そこで、私が「確認会話」についてブログで紹介した情報の元になっている文献に当たってみることにした。それが、柳田邦男氏を座長とする、日本航空の「安全アドバイザリーグループ」がまとめた「高い安全水準をもった企業としての再生に向けた提言書」である。この提言書は、冊子として2万5000部が作成され、グループ社員へ配布したそうである。私は、柳田氏らと一緒に作成に関わった人を通じて、その提言書を読む機会を得た。

「安全アドバイザリーグループ」の活動と「提言書」の内容については、日本航空のCSR報告書2006で詳しく紹介されている。
https://www.jal.com/ja/corporate/csr2006/decision/decision4.html

そして、「提言書」に、「確認会話」についての参考文献として、柳田邦男著『緊急発言 いのちへII』(講談社)が記載されていたので読んでみた。
その本には、横浜市立大学付属病院での患者取り違え手術事故の詳細な分析があり、「確認会話」に関しては、実際に医療現場で行われた会話(関係者の証言による)と、柳田氏が提言する「確認会話」を取り入れた会話の例が紹介されている。
この本によって、「確認会話」の実際を、だいぶ詳しく知ることができた。

「確認会話」とは、自分と相手の言動を互いに会話で確認し、正確を期するコミュニケーションの手法である、と柳田氏は定義している。一方、〈対話法〉における「確認型応答」は、「相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめるための応答」と定義されている。細かい表現こそ異なるが、「確認」することの重要性を強調しているという点では、共通していると考えてよさそうである。

『緊急発言 いのちへII』が発行されたのは2001年であるが、いまだに、「確認会話」が広く使われるに至っていないようである。「確認会話」と「確認型応答」、若干趣は異なるとしても、コミュニケーションの質を高めるという目的は同じである。対話法研究所としては、「確認型応答」の普及を通して、事故の予防に役立てるよう活動を続けていきたい。

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2006年9月 4日 (月)

ファシリテーションと〈対話法〉

以前、中野民夫著『ファシリテーション革命』(岩波書店)を読んだことがあります。この著者は、『ワークショップ』という本も、岩波新書から出しています。

ファシリテーションというのは、「促進する」という意味の英語「ファシリテート」の名詞形です。そして、その役目を担うのが、「ファシリテーター」と呼ばれる人です。

ファシリテーターは、日本語に訳せば、「促進者」とか「進行役」などとなるでしょうが、従来からある単なる司会や進行役とイコールではありません。

ファシリテーターは、グループに参加しているメンバーの個性を尊重しながら、グループ全体の力を最大限に発揮できるように、個人やグループが持っている能力や創造性を引き出したり、グループ機能の成長を促進したりする人のことです。
しかも、これらの活動が、安心してのびのびとした環境のもとでできるような「場づくり」をすることも、ファシリテーターの大切な役割の一つです。

著者は、『ファシリテーション革命』の「はじめに」の中で、「世界の平和を促進するのも、人間関係を上手に取り持つのも『ファシリテーション』である。ビジネス会議を創造的に導くのも、市民参加のまちづくりを推進するのも、参加体験型のワークショップを巧みに進行するのも、『ファシリテーション』である。教育の世界で、一方的に教えるのでなく、興味や関心を引き出したり、市民活動の現場で何かやりたいという人の心に点火するのも、『ファシリテーション』である」と書いています。

これは、じつは、簡単そうで難しいものです。ですから、有能なファシリテーターになるには、さまざまな体験をとおしてファシリテーション技術を培うことが大切です。そして、必要とされる能力の一つとして、参加者への共感や受容を伝えるコミュニケーション技術(主に傾聴)があります。
それは、ある意味で、カウンセラーの訓練と似た部分があります。
もちろん、カウンセラーになるには、共感や傾聴の「熟練」に加えて、精神医学や臨床心理学などの専門的知識が欠かせません。

一方、ファシリテーションにおいて、傾聴は大切なスキルの一つですが、傾聴に限って言うなら、カウンセラーほどには厳密さが要求されないと思います。なぜなら、その場は、心理治療を目的とする場ではないからです。
そのかわり、ファシリテーションでは、カウンセラーとは異なる多くの専門知識や感性が要求されるでしょう。

これまで述べてきたように、ファシリテーション技術の一つとして傾聴がありますから、そこでは、〈対話法〉の「確認型応答」の概念が役立つものと思われます。
今後、ファシリテーションの分野において、従来の傾聴技法に加えて、〈対話法〉の概念とスキルが併用されることを期待しています。

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2006年5月23日 (火)

もう一度、「繰り返し」の是非について

しつこいかもしれないが、重要なことなので、「繰り返し」(オウム返しも含むが、ここでは、簡略化のために「繰り返し」という用語で代表する)について、もう一度書いておきたい。

日常会話の中で、軽い感じで、無意識のうちに、自然発生的に出てくる「同じ言葉」は問題ないだろう。なぜなら、このような場合は、相手の言葉を「意図的」に繰り返そうとして繰り返しているのではなく、自然とそうなってしまったからである。私が問題視しているのは、「技法として意図的に繰り返す」という意味での「同じ言葉」のことである。

しかし、残念ながら、これら二つの「同じ言葉」が、どちらも「繰り返し」と称されることが多いため、初心者は混乱するのである。

極端に分けるとすれば、

意図的に同じ言葉を言うこと(=繰り返し) ×
意図するわけでなく、自然と無意識的に同じ言葉が出てくること ○

ということになる。

カウンセリング研修のロールプレイング場面で、カウンセラー役として何らかのことを言わなければならないという状況で、反射的に「繰り返し」をしてしまうという体験は、多くの人がしていると思う。
また、相手(クライエント役)の話が、短すぎたり、分かりやすすぎる場合も、「繰り返し」でしか応答できないことがある。

たとえば、クライエント役の人が、次のように言ったとしよう。

クライエント役:「今日は、ここまで車で来ました」

本来、この程度の話題では、いちいち共感的応答をする必要はないのであるが、ロールプレイングは応答をする「練習」が目的であるから、何か言わなければ「練習」にならない。そこで、たとえば、

カウンセラー役:「車で来たんですね」

と、「繰り返し」をしてしまうのである。

しかし、私がカウンセラー役をする場合、次のような応答をすることがある。

浅野:「何も話題がなくて困っているんですね」

もし、これがクライエント役の人の気持ちと違っていれば、

「いいえ、実は……」

と続けて話してくれるだろう。共感的応答は違っていてもいいのである。

もし合っていれば、

「はい、このような練習は初めてなので、急に何か話せと言われても、話したいことを思いつきません……」

というように、クライエント役の、文字通り「いま、ここで」の思いや気持ちを語ってくれるかもしれない。

このような応答については、少し深入りしすぎるという批判があるかもしれないが、共感的応答の「練習」だからこそ、このような挑戦をお勧めしたいのである。もちろん、練習の場だけでなく、実際のカウンセリングの場面でも活用してもらいたい。
ただし、このような応答は、あくまでも、カウンセラーの理解の仕方が合っているかどうかをクライエントに確かめることが目的である。決してカウンセラーの理解を押し付けてはならない。

この稿の最後に、ロジャーズの言葉を紹介する。

 そのアプローチ(非指示的療法)全体が、数年のうちにひとつの技法として知られるようになり、「非指示的療法とは、クライエントの感情を反射していく技法である」と述べられるようになってしまった。さらにひどい真似事として、「非指示的療法では、クライエントが述べた最後の言葉を繰り返せばよい」というのもあった。私は、自分たちが提唱しているアプローチが、こうして完全に歪曲されたことにショックを受けた。そのため、その後数年間は、共感的傾聴に関して何も述べないようにした。再びこれを強調するようになった時点では、共感的態度に重点をおいて、対人関係の中でどのように実行していくかについては少ししか述べないようにした。

参考文献:C・R・ロジャーズ著/畠瀬直子監訳『人間尊重の心理学』(A way of being)創元社 130ページ
ただし、趣旨を変えない範囲で、浅野が若干書き換えた。

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2006年5月21日 (日)

問題解決が早いブリーフ・セラピー

今日は、失敗学会の会議があったので、東京に行ってきた。
私の場合、生産現場・医療機関・交通機関などにおける失敗や事故への対応と防止に「確認型応答」が役立つのではないかという観点から、失敗学会の活動に関わっている。

行き帰りの電車の中で、短期療法(ブリーフ・セラピー)の本を読んだ。ここ数年、ますます注目されてきたセラピーの一種である。

従来(と言ってもいろいろあるが)のセラピーとの大きな違いは、基本的に、クライエントがかかえている問題や症状の原因探しをしないところにある。
生育歴や原因はともあれ、とにかく悩みや症状が改善すればいいという、つまり前向き(解決志向)な対応をしていこうという考え方が根底にあるからだ。

私も、数年前から、このセラピーを取り入れている。そのためか、問題や症状がそれほど深刻でないクライエントの場合、文字通り、2〜3回でカウンセリングが終わるケースが増えてきた。

参考文献:スコット・D・ミラー、インスー・キム・バーグ著『ソリューション・フォーカスト・アプローチ』金剛出版

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2006年5月20日 (土)

事故とコミュニケーション

さまざまな事故(最も広い意味では人間に関るトラブル)について、コミュニケーションという視点で考えてみる。

認知心理学の観点からさまざまな事故の原因や対策を研究している海保博之氏(元筑波大学教授)は、交通機関などにおける事故の発生には、因果連鎖をたどって いくと、どこかで必ず人が関わってくると指摘している。さらに、事故の原因の一つとして、思い込みによるエラーなど、関係者間の伝達ミスがあると言って いる。

そして、それを防ぐためには、他人との共同思考ができること、つまり、メンバーが自分の思いを、自由に、しかも頻繁にコミュニケーションできる環境が必要であると提言している。(『人はなぜ誤るのか』福村出版より)

上記の観点の重要性は、私たちが日常の体験を通して実感していることと思う。

〈対話法〉の関係では、最近、医療事故や医療過誤によるトラブルの予防を重視した医療関係の団体からの問い合わせや実習指導の依頼が目立つようになってきた。

医療という分野でも、従来から指摘されていたシステムの改善や知識・技術の向上という視点に加えて、対人言語コミュニケーションの重要性に関心が向くようになってきたからだと察している。

私は、「人間関係、特にコミュニケーションは難しい」という、私たちの「思い込み」(?)が、かえってコミュニケーションに関る改善を遅らせているのではないかと考えている。

そこで、「人間が関ることは複雑ではあるけれど、思っているほど難しくはない」と発想を転換することによって、さまざまな問題に対する前向きの対策が活性化するのではないかと思い、〈対話法〉の普及活動を続けているのである。

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2006年5月18日 (木)

読みたい本が図書館にないとき

カウンセリング、特に来談者中心療法について研究しようとすると、ロジャーズの原典にあたる必要が出てくる。しかし、岩崎学術出版社から刊行されている『ロージァズ全集』全18巻(別巻を含めると23巻)は、現在絶版になっているものもあり、なかなか全部は手に入らない。

そこで、役立つのが図書館の「図書館間貸出(ILL)」(無料で利用できる)というシステムである。近くの図書館にない本でも、そこで予約申し込みをしておけば、「図書館間貸出」をしている大きな図書館から借りてくれるという便利な制度である。
どこの図書館においてあるかは、あらかじめ「Webcat Plus」で調べておくと便利だ。

市販されている本は、ほとんど上記の方法で借りられるが、市販されていない論文などは、国立国会図書館の複写サービス(有料)を利用して手に入れられる。

これらのいずれかの方法を使って、必要とする文献に目を通すことができるのである。

昨日、近くの市立図書館から、先日申し込みをしておいた『ロージァズ全集』が届いたとの連絡があったので、これから借りに行こうと思う。

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