2013年5月29日 (水)

メーリングリストやSNSでのトラブルを予防するルール

私が参加していたメーリングリストやSNSでの交流で、過去に5〜6回、険悪なムードになったことがあります。
私が、うまく介入して調整できたグループは、その後も存続していますが、私が、そこまでできる権限がなかったグループの多くは、その後、閉鎖されてしまいました。私は、これらの経験から多くを学びました。
そこで、私が管理する権限のあるメーリングリストやSNSでの交流では、〈対話法〉の原則を含む下記のようなルールを定めて、メンバー全員で合意するようにしています。

【参加のルール】
安心して自由に意見交換ができる雰囲気を維持するために、投稿に際しては、次のルールを「守ろうと努力すること」を参加の条件とします。
注)ただし、失敗は許されます♪

◯特定の団体や個人、また投稿に対する「非難・批判・否定的な意見」は書かないでください。もちろん、反対の考えや意見を言うことはOKです。なぜなら、「すべての意見に賛成」ということはあり得ませんから……。
◯相手の発言の真意を誤解することのないよう、必要に応じて「確認型応答」(相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる応答)を入れてください。
◯自分の考えを相手に押し付けるような言い方を慎み、一つの提案という形で示してください。
◯意見を言う時は、できるだけポジティブ(前向き・積極的・肯定的)な「言い方」をするように心がけてください。

これらのルールは、メンバー全員が、自主的に、あるいは互いに助言し合いながら守ることが理想です。しかし、ときには、管理人が「交通整理」をさせてもらうこともあります。その際は、ぜひ、ご協力ください。

※〈対話法〉の原則や「確認型応答」についての詳細は、対話法研究所のサイトでご覧ください。

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2006年7月 5日 (水)

メールを読むときの注意点

メールを出す際には、できるだけ誤解が生じないように書くことが大切です。
しかし、書く側だけがいくら努力しても、実際には限界があります。

そこで、今回は、メールの読み方、いや、読むときの「心構え」のようなものをお話ししておきたいと思います。

ふつう、文章はきちんと丁寧に読むのがよいといわれますが、メールでは、場合によって、その丁寧さがかえってアダになることがあります。
それはなぜでしょうか。

だれでも経験していることと思いますが、メールを書くときに、十分に推敲している時間がない場合、「必ずしも適切でない語句」を残したまま、あるいは「多少のあいまいさに目をつぶって」送信してしまうことがあります。

しかし、そのメールを受け取った側は、そのつもりになればいくらでも時間をかけて読めるので、じっくり読むほど、不完全な部分が気になってきます。
つまり文章のアラが見えてきます。

そして、不完全な部分や分かりにくいところを、なんとか想像で補おうと努力すればするほど、「書き手の意図とは違った解釈」をしてしまうことがあります。

それもそのはず。もともと、細部にわたる推敲がおこなわれていない文章なのですから仕方ありません。

ですから、

◎メールを読むときは、あまり厳密に(分析的に)読まない心がけ「も」大切です。

ただし、きちんと推敲されたメールの場合は、厳密に読んだほうがいいでしょう。

ちょっと極端な例ですが、たとえば、

「私たちは、たくさんのメールを出しあって、すでに考え方に微妙な違いがあることを確認してきたとはいえないのではないですか……」

のような文章は、読めば読むほど否定にも肯定にも受け取れます。
こんな場合は、その意味を、どちらか一方に決めることは保留にしておきたいものです。

もちろん、ずっとあいまいなままでいいわけではありません。大事な用件の場合は、どちらの意味なのかを、きちんと相手に確かめることが必要です。

そして大事なことは、相手の真意を確かめないまま反論をしたり、自分を否定されたと思って感情的になるのを慎むことです。

つまり、

◎メールによるやりとりでは、ちょっと変だなと思ったら、相手の意図を確かめるまでは、すぐに反応しないことが大切です。

これは、面と向かっての「対話」におけるルールとも共通しています。

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2006年7月 4日 (火)

対話とメール

「対話」あるいは「会話」は、ほとんどの場合、人と人とが面と向かって即時におこなわれるものです。それが書物や手紙などの「書き物」による情報や意見の交換との大きな違いでしょう。

では、E-メール(以降「メール」と略します)はどうでしょうか。私は、「対話」と「書き物」の中間に位置すると考えています。

簡単に言うなら、以下の二つの特徴があるでしょう。

●時間的な違い:メールは、面と向かっての「対話」に比べれば、はるかにゆっくり進行します。しかし、手紙よりは早いです。

●記録性の違い:「対話」は記録に残りませんが、メールは記録に残りますので、「書き物」に近いです。

さらにいろいろなことが考えられます。

「対話」は、瞬間的に出てくる言葉によってやりとりをしており、そこに、さまざまな形で多くの感情が込められます。また、言い間違いも頻繁に生じます。しかし、聞き手である相手の反応が目に見えるので、即座に言い直しが可能です。

メールは「対話」よりもじっくり考えながら書くことができますが、手紙や文書ほどには時間をかけないことが多いので、書き間違いや、わかりにくい表現をしてしまうこともあります。そこには誤解も発生するでしょう。しかし、相手から返事が戻ってくるまでは、間違いや誤解に気づきにくいです。

これらがメールの魅力でもあり、また危険なところでもあるわけです。

こんなことを考えると、メールを書くということは、「対話」と「書き物」の両方を意識したものになるのではないでしょうか。

さらに言うなら、メール交換は、かなり「対話」に近いものだと私は考えています。というか、「対話」としてとらえておいた方が、メールの危険性も、またその対策もわかりやすくなると思うのです。

ところで、メール交換のなかで、どうして誤解やトラブルが起こるのでしょうか。もちろんお互いの性格の違いや心理的な要因も多々あるでしょう。

しかし、単に書き方を少し工夫するだけで、未然に防げることもあります。またそういう方法を知っていれば、今まで以上に気軽に楽しくメールを書けるようになります。

また、メールには、実は書き方だけでなく、読み方にもコツがあるのです。〈対話法〉において、私が「聞き方」を強調するのと同じく、メールの場合も、意外と読み方が大切なのかもしれません。(次号につづく)

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2006年6月19日 (月)

誤解を防止する確認型応答

だいぶ前の出来事ですが、ある人から、下記のようなメールを受け取りました。

■ ……○○さんに連絡をすることはメールで断ったのですが……

          (前後の文章は省略します)

この文章を読んで、私はどう理解したら良いかわからず、首をひねってしまいました。前後の文脈からも判定不可能なのです。書いた人は、この文章の問題点に気づいていないのでしょうが……。

まずなによりも、この文章は肝心なことが全部抜けているのです。つまり、誰が断ったのか、誰に断ったのか、全く書いてありません。想像さえもできません。

さらにやっかいなのは、「断る」という語句の解釈が二通りあることに書き手が気付いていないことです。

「断る」には、代表的なものとして 許しを得る・拒否する の二つの意味があります。全く正反対の意味です。これを言葉の多義性といいますが、「断る」の場合、同じ言葉でこんなに意味が違うのは珍しいことです。

私は心理カウンセラーをしているので、カウンセリングの面接ではもちろん、日常生活でも、言葉の多義性には常に気を配っています。

ここで、カウンセリングでの失敗談を一つお話ししましょう。

カウンセリングは、相手(クライエント)の話を聞くことがメインになるので、一所懸命に聞くのですが、あるとき、クライエントから、「先生、もっと聞いてください」と言われました。私はとっさに、自分の聞き方が悪いのだと思い、ますます真剣に聞いたのですが、それにも関らず、「もっと聞いてくださいよ……」と言うのです。

おかしいなと思って、よくよく話しあってみたら、クライエントが言う「聞いてください」は、「分からないことがあったら聞いてください(質問してください)」という意味だったのです。にも関らず、私は、「質問」とは全く逆のことをしていたわけです。

このような誤解は、日常にはたくさんあります。笑い話で終わる内容や程度ならいいのですが、誤解から対人トラブル、さらには大きな失敗や事故に発展(?)してしまうこともありますので、気をつけなくてはなりません。

コミュニケーションって難しいですね。特にメールは、書き上がった文章を推敲しない場合が多いので、誤解の宝庫(?)になりがちです。

そこで、メールに限ったことではないのですが、相手との対話(メール交換も対話の一種です)の中で、「なにかおかしいな(変だな)」と思ったら、気付いた時点で相手に、「それは〜という意味ですか」あるいは「私は〜というふうに理解しましたが、これで合っていますか」という「確認型応答」をすることが、トラブルを防ぐ一番確かな方法です。

方法は、いたって単純ですが、意識的に実行している人は意外と少ないものです(無意識にやっている人はたくさんいます)。
また、私の経験と研究によると、この「確認型応答」を使えば、コミュニケーションが原因となる、多くの対人トラブルを防止・解消することができます。

言葉の解釈の違いによる誤解を少しでも防いで、より快適な対話や話し合い(メール交換を含む)をしましょう、というのが、私が〈対話法〉を提唱している一番の理由です。

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2006年5月28日 (日)

メーリングリストでのトラブル対応における対話法

私が管理者をしていた、あるメーリングリストで、以前こんな経験をしたことがあります。

ある日、メンバーの一人であるSさん(ハンドルネーム)が、メーリングリストの運営方法について、意見を投稿しました。
その内容や書き方が肯定的・建設的なものなら、なんら問題なかったのですが、実際それとは正反対の否定的・攻撃的(本人の意図は違うのかもしれませんが、私にはそう感じられました)なものだったのです。

案の定、メーリングリストは険悪な雰囲気になりました。
Sさんが、「〜について、管理者に説明を求めたい」と書くので、私が冷静に丁寧に説明しましたが、「管理者は逃げている。そんな言い訳では、とうてい納得できない。だれもが納得できる説明を求める」と言うので、私はさらに知恵を絞って説明したのですが、一向に納得してくれません。
そのうち、他のメンバーまでもが論争に参加してきて、終いには収拾がつかなくなりました。

そもそも、「だれもが納得できる説明」というのは、ほとんど不可能なことでしょう。また、説明とか議論というものは、お互いに理解し合おうという気持ちが双方にないと、いくら言葉を尽くしても分かり合えないものでしょう。

困った私は、ふと、「これが〈対話法〉(またはカウンセリング)だったら、どのように進めるだろうか」と考えました。
〈対話法〉の基本は、相手の発言の内容から、相手が何を言いたいのかを受けとめて、それを相手に確認することです。

さて、攻撃的(?)な書き込みをしているSさんは、本当は何を言いたいのだろう。
そこで気付いたのが、Sさんは、

「このメーリングリストをより良くしたい」

という気持ちがあり、本当は、それを言いたいのではないかということでした。
そこで、さっそく私は、

「Sさんは、このメーリングリストを良くしようと思って、たくさんの発言をしているのですね」

というコメントを書き込みました。
すると、驚くことに、その後のSさんの発言が、急に建設的になったのです。

後から考えたのは、最初のSさんの攻撃的(?)な発言に触発されて、こちらが防衛姿勢になってしまい、その姿勢(Sさんには逃げと映った)がSさんを益々刺激してしまったのではないかということです。

メーリングリストで発生するトラブルには様々な原因があるので、「この言葉」を言えば必ず解決するといえるほど単純ではありません。
しかし、この経験から、〈対話法〉の原則(つまり傾聴)を優先した対応が多いに役立つのではないかと、私は改めて思いました。

参考になるブログ記事
ネット荒らし対策でも広がる『傾聴』の技
---ネット上のバーチャルな世界でも「傾聴」が注目されている---

 

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2006年5月20日 (土)

電話でメルアドを正確に伝える方法

電話でA,B,C…(アルファベット)を伝える時、「エフ」と「エス」、「ビー」と「ピー」、「アイ」と「ワイ」、などを間違えずに伝えるのに苦労したことがあると思う。
特に、メールアドレスやコンピュータ関連の略語を伝えるときは、何度も繰り返さなくてはならないことが多い。

私は、以前、アマチュア無線をやっていたが、その世界では、アルファベットの聞き違いを防ぐために、欧文通話表(フォネティックコード)を使うのが慣例になっていた。

たとえば、GSD……なら、
「ゴルフ、シエラ、デルタ……」というふうに言って伝えるのである。

特に無線は電話(有線)と違い、混信や電波の強弱などの影響で聞き取りにくい場合が多いからである。
ちなみに、数字や日本語の五十音にもフォネティックコードがある。

歴史的には、さまざまな種類のフォネティックコードがあったが、現在、国際電気通信連合(ITU)では、下記のように統一している。

A:アルファ B:ブラボー C:チャーリー D:デルタ
E:エコー F:フォックストロット G:ゴルフ H:ホテル
I:インディア J:ジュリエット K:キロ L:リマ
M:マイク N:ノヴェンバー O:オスカー P:パパ
Q:ケベック R:ロメオ S:シエラ T:タンゴ
U:ユニフォーム V:ヴィクター W:ウィスキー X:エックスレイ
Y:ヤンキー Z:ズールー

以前、会社に勤めていたとき、同僚が電話で何度も、「シーではなくて、ティーですティーです」などと、何度も繰り返しているのを聞いて、どうして、こんなに便利なものを使わないのだろうと不思議に思っていた。もちろん、私も恥ずかしくて使えなかったが……。(最近、業界によっては、社内で使われているところもあると聞いている)

フォネティックコードは、便利で効果的なのは確かだと思うが、先にも書いたように、皆で使わないと恥ずかしいというのが最大の欠点である。
でも、仕事やプライベートでの、誤解のない、よりスムーズなコミュニケーションを実現するために、そろそろ皆で使い始めてはいかがだろうか。

フォネティックコードについては、下記のブログが参考になる。http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2005/02/post_56.html
さらに詳しく紹介している無線関係のホームページはこちら。
http://home10.highway.ne.jp/cwl/phonetics.html

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2006年5月18日 (木)

読みたい本が図書館にないとき

カウンセリング、特に来談者中心療法について研究しようとすると、ロジャーズの原典にあたる必要が出てくる。しかし、岩崎学術出版社から刊行されている『ロージァズ全集』全18巻(別巻を含めると23巻)は、現在絶版になっているものもあり、なかなか全部は手に入らない。

そこで、役立つのが図書館の「図書館間貸出(ILL)」(無料で利用できる)というシステムである。近くの図書館にない本でも、そこで予約申し込みをしておけば、「図書館間貸出」をしている大きな図書館から借りてくれるという便利な制度である。
どこの図書館においてあるかは、あらかじめ「Webcat Plus」で調べておくと便利だ。

市販されている本は、ほとんど上記の方法で借りられるが、市販されていない論文などは、国立国会図書館の複写サービス(有料)を利用して手に入れられる。

これらのいずれかの方法を使って、必要とする文献に目を通すことができるのである。

昨日、近くの市立図書館から、先日申し込みをしておいた『ロージァズ全集』が届いたとの連絡があったので、これから借りに行こうと思う。

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