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2006年9月29日 (金)

「JR東日本総合研修センター」訪問

■お知らせ:これまで、ブログ「カウンセリングと対話法を語る」に書いてきた〈対話法〉についての記事は、「対話法入門講座」に移転しました。

9月26日に、私も会員になっているNPO法人「失敗学会」のメンバーと「JR東日本総合研修センター」を訪問しました。福島県・新白河駅からバスで10分くらいの場所にあります。

このセンターは、社員の研修のために設置されたものです。その中に、今回の訪問の主目的である「事故の歴史展示館」があります。「この施設は、過去の事故を忘れることなく、尊い犠牲の上に得られた貴重な体験として大切に引き継ぎ、安全に対する基本姿勢である『事故から学ぶ』ことを目的」(「事故の歴史展示館」パンフレットから引用)として平成14年に開設されました。

そこでは、これまでに起こった大きな鉄道事故(追突、脱線、感電、災害、列車火災など)の概要と対策が、展示パネル、ビデオ、模型などを使って紹介されています。

私は、特に、コミュニケーション・エラーが関った事故に関心がありました。その一つの例として、保線関係者のちょっとした連絡ミスや確認忘れなどが、悲惨な死亡事故につながった事例が紹介されていました。

私は、〈対話法〉を通して、「確認の大切さ」を提唱していますが、「いくら確認をしても、それだけでは防げない事故」や「確認さえ忘れてしまう状況」があることを、実際に起こった「事故の記録」を通して改めて知ることができました。

コミュニケーション・エラーを完全になくすことはできません。ですから、これらの事故を防ぐには、たとえば「自動列車停止装置(ATS)」などのようなメカニズムを使った対策を講じる必要があるわけです。

そして重要なことは、「確認という行為」が全く無力なわけではないということです。日常業務における「ヒヤリ、ハッと」体験を関係者に報告し、その体験をメンバー間で共有しやすい環境をつくるには、「確認型応答」を中心とする〈対話法〉の原則が有効だからです。

要するに、「確認」と「メカニズム」を適切なバランスで併用することが、事故を防ぐ最良の方法なのでしょう。

なお、NPO法人「失敗学会」では、分科会の 『失敗体験ネットワーク』のメンバーが全国の失敗体験に関連する施設を調査して、「失敗体験施設名鑑」として情報をデータベース化していますのでご覧下さい。

参考記事:
事故とコミュニケーション
確認はヒューマンエラーへの対応策
危険性を指摘する発言が許される環境
  

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2006年9月19日 (火)

確認が嫌がられる場合(2)

〈対話法〉による確認の言葉が合っていれば、話し手は、嬉しさとともに、さらに自分の気持ちがはっきりします。
しかし、仮に確認の言葉が違っていても、違いが明確になることによって、自分の気持ちが見え始めます。
いずれにしても、確認は、話し手本人にも、聞き手にも益になることです。

しかし、これには例外があります。それは、話し手が自分の気持ちを相手に気づかれたくない場合か、話し手自身が自分の気持ちに気づきたくない場合です。
このような場合に「確認」をすると、話し手から嫌がられる可能性が高いです。

前回は、「話し手が自分の気持ちを相手に気づかれたくない場合」について説明したので、今回は、「自分の気持ちに気づきたくない場合」を説明します。

「自分の気持ちに気づきたくない場合」というのは、もっと詳しく言うと、「自分の中に、はっきりさせたくない(気づきたくない)気持ち(行動を含む)があることを、自分でも気づいていない、そして、気づいていないことにも気づきたくない場合」ということです。

これは、深層心理学や無意識の心理学の領域の話なので、詳しく説明しだすとますますややこしくなってしまう恐れがあります。ですから、ここでは、必要最小限にとどめたいと思います。

例によって、たとえで説明します。

「自分は正直な人間である」と強く確信している人がいるとします。あるとき、自分自身や、ごく身近な人たちに関る重大な利害関係が生じて、どうしても「事実と異なること、つまりウソを言わざるをえない」状況に陥ったとき、「正直な自分」という枠をこわしたくないという観念が強いと、「事実と異なることを言っている」にも関らず、そうしている自分に気づかない場合があるのです。

これは、人間が自分の「心」を守るための、防衛機能の一種です。
いまの例の場合で言うと、自分がしている行動(事実と異なることを言う)を無意識の領域に追いやることによって、自分の心の中にある「自分は正直な人間だ」という自己像を守ろうという機能が働くということです。
逆に、自分がウソをついていることを明確に意識したとすると、「自分は正直な人間だ」という自己像と矛盾するので、心の中で(軽い)パニックが起こってしまいます。

人間は、自然と、できるだけ心が安定するような道を選んで生きています。ですから、せっかく無意識でいるのに、相手からの「確認」によって、心の中を突かれる(明確にされる)のは嫌なことなのです。

       ■発行者からのお知らせ■

昨日(9月18日)、「対話法入門講座」というブログを新たに開設しました。
こちらは、既に発表した文章も含めて〈対話法〉の解説を中心に書いていき、目次を入れた一冊の著書のような形に仕上げていきたいと考えています。

それに伴い、当ブログ「カウンセリングと対話法を語る」は、次回から、タイトルを変更して、日記・エッセイ風の内容を中心に書く予定です。
今後とも、ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

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2006年9月12日 (火)

確認が嫌がられる場合(1)

このブログでは、これまで、〈対話法〉における「確認型応答」は相手に好感を与えるということを主に述べてきました。

つまり、相手の発言に対する確認の言葉が合っていれば、話し手は、嬉しさとともに、さらに自分の気持ちがはっきりします。
また、仮に確認の言葉が違っていても、違いが明確になることによって、自分の気持ちが見え始めます。
いずれにしても、確認型応答は、話し手本人にも、聞き手にも益になることです。

しかし、これにはいくつかの例外があります。それは、話し手が自分の気持ちを相手に気づかれたくない場合か、話し手自身が自分の気持ちに気づきたくない場合です。

このことについて、今回と次回にわけて説明します。
はじめは、「自分の気持ちを相手に気づかれたくない場合」です。

わたしの経験から言うと、確認されることを嫌うのは、自分の発言に自信がない人か、自分の発言の趣旨をはっきりさせたくない、なんらかの意図がある人です。
つまり、なんとかごまかして(ちょっと表現は悪いですが)その場を収めたい人です。

例をあげて説明します。

まずは、自分の発言に自信がない人;

★権威ある立場にある人が、自分でもあまり確信がもてないことを思わず言ってしまったが、それを今さら取り消すわけにもいかず困っているとき。

次に、自分の発言の趣旨をはっきりさせたくない人;

自ら発言しているのに、なぜ「はっきりさせたくない」のかという理由はいろいろあるでしょう。たとえば以下のような場合です。

★いやいや言わされている場合(国会での参考人質疑など)や、立場上発言せざるをえない場合(不祥事に関する謝罪の記者会見など)など。

★相手をだまして自分だけ利益を得ようとしている場合。

などがあります。もちろん、このように特別な場面でなくても、わたしたちの日常には、多かれ少なかれ、これに似た心境(たとえ悪意はなくても)になる状況があると思います。

このような条件下では、わたしたちは、できるだけあいまいなまま事を済ませたいという気持ちになります。つまり、相手から「確認」(または質問)されることを避けたい気持ちになるわけです。

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2006年9月 4日 (月)

ファシリテーションと〈対話法〉

以前、中野民夫著『ファシリテーション革命』(岩波書店)を読んだことがあります。この著者は、『ワークショップ』という本も、岩波新書から出しています。

ファシリテーションというのは、「促進する」という意味の英語「ファシリテート」の名詞形です。そして、その役目を担うのが、「ファシリテーター」と呼ばれる人です。

ファシリテーターは、日本語に訳せば、「促進者」とか「進行役」などとなるでしょうが、従来からある単なる司会や進行役とイコールではありません。

ファシリテーターは、グループに参加しているメンバーの個性を尊重しながら、グループ全体の力を最大限に発揮できるように、個人やグループが持っている能力や創造性を引き出したり、グループ機能の成長を促進したりする人のことです。
しかも、これらの活動が、安心してのびのびとした環境のもとでできるような「場づくり」をすることも、ファシリテーターの大切な役割の一つです。

著者は、『ファシリテーション革命』の「はじめに」の中で、「世界の平和を促進するのも、人間関係を上手に取り持つのも『ファシリテーション』である。ビジネス会議を創造的に導くのも、市民参加のまちづくりを推進するのも、参加体験型のワークショップを巧みに進行するのも、『ファシリテーション』である。教育の世界で、一方的に教えるのでなく、興味や関心を引き出したり、市民活動の現場で何かやりたいという人の心に点火するのも、『ファシリテーション』である」と書いています。

これは、じつは、簡単そうで難しいものです。ですから、有能なファシリテーターになるには、さまざまな体験をとおしてファシリテーション技術を培うことが大切です。そして、必要とされる能力の一つとして、参加者への共感や受容を伝えるコミュニケーション技術(主に傾聴)があります。
それは、ある意味で、カウンセラーの訓練と似た部分があります。
もちろん、カウンセラーになるには、共感や傾聴の「熟練」に加えて、精神医学や臨床心理学などの専門的知識が欠かせません。

一方、ファシリテーションにおいて、傾聴は大切なスキルの一つですが、傾聴に限って言うなら、カウンセラーほどには厳密さが要求されないと思います。なぜなら、その場は、心理治療を目的とする場ではないからです。
そのかわり、ファシリテーションでは、カウンセラーとは異なる多くの専門知識や感性が要求されるでしょう。

これまで述べてきたように、ファシリテーション技術の一つとして傾聴がありますから、そこでは、〈対話法〉の「確認型応答」の概念が役立つものと思われます。
今後、ファシリテーションの分野において、従来の傾聴技法に加えて、〈対話法〉の概念とスキルが併用されることを期待しています。

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