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2006年6月12日 (月)

事故への対応/謝罪の是非

東京都内で、エレベータによる死亡事故が起こったことに関して、それぞれの立場から、さまざまなコメントが出されている。
詳しい事実関係、さらに事故原因が公表されるまでには、もう少し時間がかかるだろう。

ここでは、このような事故が起こった際の対応について、交通事故を例として行われた調査の一つを
紹介したい。このブログで論じている、心の通うコミュニケーションというテーマにも大きく関わるからである。

欧米では、一般に、交通事故を起こした時、たとえ自分の側に非があった場合でも、安易に謝ってはいけないと言われている。
なぜなら、その方が、保険金の交渉を進めていくうえで優位に立つと考えられているからである。

しかし、本当にそのような態度が有効なのかどうかについて、英国の
大手保険会社が行った調査の内容が、昨年(2005.9.30)「共同通信」により報じられた。 
それによると、意外な結果が出たというのである。

試算によると、「ソーリー(すみません)」と謝らなかったために、被害者の怒りを買い、英国で少なくとも年間2800万ポンド(約56億円)もの保険金が過大請求されていたというのである。

だいぶ前の記事なので、
現在ネット上では読むことができないが、その代わりに、このことに触れたいくつかのブログ記事があるので紹介する。
http://yukky.txt-nifty.com/bikeblog/2005/10/post_56cb.html
http://nipponnogenki.seesaa.net/article/8685364.html

なお、もとになった「Norwich Union」の記事(英文)を探したので合わせて紹介する。
http://www.nu-riskservices.co.uk/news/articles/cms/1127926373212694732605_1.htm

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コメント

coolsmileさん
コメントありがとうございます。
「本来なら・・・」という言葉は、重大事故という状況の把握が心からできていない証拠だと思います。
これは、リスク・マネジメントとかクライシス・コミュニケーション(危機管理広報)と呼ばれる分野ですが、coolsmileさんのコメントを読んで、重大なミスによる大事故と、コミュニケーション上の問題は、どこか共通している要因があるのではないかと思いました。
これからも、重要なお立場からの発言を続けてください。

投稿: 浅野良雄 | 2006年6月30日 (金) 19時30分

はじめてコメント入れさせていただきます。
私は昨年のJR福知山線の脱線事故に遭遇して負傷した者です。
事故後のJR西日本の対応を見ていると、対応がすごく下手だと思います。
JRとしては当然の主張であったとしても(そうでないこともあるのですが)、もう少しうまい言い方があるだろうと思うことがよくあります。
例えば少し以前のことになりますが、電車がぶつかったマンションの買い取り価格を住民に提示した時の説明は以下のようでした。
「買い取り価格は本来なら時価になるところですが、今回の事情に鑑みて購入時の価格とさせていただきます」
確かに一般的には物損の場合の賠償は時価になるようですが、購入時の価格で買い取るというのであれば、説明に「本来なら・・・」は不要でしょう。
被害を受けた人達は通常の精神状態ではないのですから、「加害者」の言葉にはセンシティブです。
そういう細かな配慮ができないのですね。

投稿: coolsmile | 2006年6月30日 (金) 01時20分

塩手さん
いわゆる「誠意ある対応」の重要性は、サービス業にたずさわっている方にとっては、疑いのないことなのでしょうね。

fluffy-MAさん
おっしゃるとおりですね。
看護や心理だけでなく、他の分野でも、とかく欧米からの知識やスキルの輸入が多いようですが……。
この理由の一つには、明治維新のころからある欧米崇拝という文化?があると思います。
あと、知識やスキルを使ったり、普及させる際には、なんらかの根拠が必要になりますが、その点、先進的なところでうまくいっているという根拠が説得力を持つのでしょう。先進的なところでは事例研究も多いですから。
ただし、これらの根拠は、ときには幻想である場合もあるので、惑わされてはいけないと思います。
そういう意味では、その土地で生まれた技術や手法の重要性は高いと思います。
カウンセリングの分野で、日本で生まれたものとしては、「森田療法」「内観」などがメジャーです。

投稿: 浅野 | 2006年6月14日 (水) 11時30分

前から疑問に思っていたのですが、看護学や心理学の技法って、あまりにもアメリカの方法を取り入れていて日本独自の方法が確率されていないような気がします。お国が違えば文化も違う。言葉も会話の仕方も違うはず。それなのに、なぜ、安易にアメリカの方法を受け入れてしまうのでしょうか?もちろん、そこの文化を持った人がそこの文化のなかで開発した技術、手法を使うのはよいと思いますが、いくらグローバライゼーションがすすんだからって、なんでもかんでもアメリカ!っていうのはどうかと思うのですが。。。。。

投稿: fluffy-MA | 2006年6月14日 (水) 03時40分

この事例サービス業にいると納得できます!
お客様への最初の対応を謝ったばかりに、事態が悪化することがよく起こってしまうからです。誠意を持って対応してくれたらこんなことにならなかったのに・・というお客様は結構多いからです(^^;

投稿: 塩手勝久 | 2006年6月14日 (水) 00時31分

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