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2006年6月28日 (水)

「でも」に気をつけて!

雑談の輪の中に入ってだまって聞いていると、同じ事を言っている(ように私には思える)人同士が互いに誤解したまま長々と議論している場面に遭遇することがあります。

時には、「単なる誤解」を「見解の違い」と勘違いしたまま、お互いに譲らず、攻撃し合うことさえあります。これは時間と労力がもったいないと思います。
そこで、なかなかおさまらない場合は、私が〈対話法〉をつかって仲裁に入ることがあります。

たとえば、Aさんが、

「電子メールを使うと、筆無精のわたしでも手軽に連絡ができるので便利です」

と言うと、Bさんが、

「でも、電子メールは相手の表情がわからないから危険性がありますよ」

と言い返します。

すると、Aさんが、

「そんなことないですよ。便利ですよ」

と反論します。

Bさんが、「でも、危険性がありますよ」

        ……

こんなやりとりが延々と続くことがあります。

では、AさんとBさんの、電子メールに関する見解が全く異なっているのかといえば、多くの場合、実はそうではなく、便利さを認めている点では同じということがほとんどです。

では、どうして、意見が対立の様相を呈してしまうのでしょうか。

いろいろな解釈ができるとは思いますが、一つの代表的なパターンを考えて見ましょう。

「でも、電子メールは……」と言うBさんは、実は「電子メールは便利ではない」と言うつもりはなくて、「便利だけれども危険性もある」と言って、Aさんの発言に補足するつもりだったことが考えられます。
でも、Aさんは、これを反論と受け取ってしまったというわけです。

ここで、Bさんが〈対話法〉の原則を使っていれば、こんなことにはならないのですが……。

しかし、実際の会話の中で〈対話法〉をつかうのが難しいとしたら、せめて、「でも」という言葉を使うときには、このような危険性があることを覚えておくといいでしょう。

そして、もしも誤解されていると気付いたら、「反対意見を言いたいのではなく、補足するつもりです」とフォローすることも大切でしょう。
また、当人同士ではフォローが難しい場合は、まわりのだれかが助け船を出すことが必要かもしれません。

注)〈対話法〉の原則についての説明は、対話法研究所のホームページでご覧下さい。

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2006年6月26日 (月)

話し下手のメリット

〈対話法〉やカウンセリングの講師をしていると、「わたしは人と話すのが苦手なので〈対話法〉を勉強したいです」という人と巡り合う機会があります。そういう人は、たいてい上手な話し方、とくに人の気持ちを引き付ける話し方を習いたいようです。しかし、〈対話法〉では、上手に話せるようになることを目的にしていません。(結果的に話し上手になることはありますが)

ただ、〈対話法〉をマスターすると、人から一目置かれることがあります。それは、会議などで、話の要点をまとめて、交通整理をする役割になったときです。
面白い話ができる人の回りには大勢の人が集まりますが、たとえ面白い話はできなくても、この「交通整理」ができる人は、いざというときに頼りにされます。そういう人は、回りから信頼されます。

「自分は話し下手だ」と思っている人のなかには、実は、このような場面で人の役に立てる人が大勢います。なぜなら、「対話の会」などで〈対話法〉の練習をしていると、「話し下手」だと言っている人が、かえって「確認」が上手にできる場合が少なくないからです。

しかし、幸か不幸か(?)、聞くことが上手になると、とかくいろいろな場面で聞き役になってしまい、自分の言いたいことが言えないまま会議が終わってしまうことがあります。それでいいかどうかはケースバイケースですが、そんなときの楽しみ方があります。

そういうときは、他の人のやりとりを聞きながら、「ああ、ここが要点だな」とか「自分だったらここで確認するな」などと考えながら聞くのです。これも楽しいものです。会議に限りませんが、なにも発言しないからといって、会話に加わっていないとは限りません。逆に、一見活発に発言していても、他の人の話を聞いていなければ、会話に加わっていないのと同じことですから、要注意です。

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2006年6月23日 (金)

話の要点といっても2種類ある

コミュニケーションにおいては、 「文章や話の大事なところ(要点)に着目しよう」と言われます。
しかし、大事なところ(要点)が、実は2種類あるということはあまり指摘されていないようです。

その2つというのは、

1.自分にとって大事なところ
2.相手にとって大事なところ

です。

ひとはそれぞれ性格も考え方も違うのですから、多かれ少なかれ、この2つは違っていて当然です。
問題なのは、そのずれに気づかないでいることです。
つまり、相手も自分と同じところが大事なのだろうと思い込んだままでいることです。

思い込み(これはやむを得ないことです)自体が悪いのではなく、思い込みが放置されていることが問題なのです。
話のすれ違いや誤解による対人トラブルは、たいていこのような場合に起こります。

そこで、「自分にとって大事なところ」と「相手にとって大事なところ」は違っていることがある、と認識するだけでも、コミュニケーションの質を高めることができます。

なお、「自分にとって大事なところ」は自分のことなので、比較的分かりやすいのですが、「相手にとって大事なところ」は、いくら相手の立場になって想像してみても、あくまでも想像でしかありません。それが合っているかどうかは、それを相手に確かめてみなければ分かりません。

わたしが〈対話法〉で、「相手が言いたいことの要点の確認」を強調しているのは、このためです。

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2006年6月20日 (火)

確認はヒューマンエラーへの対応策

半年ほど前になりますが、日本航空が、あいついだトラブルを受けて国土交通省に提出した「日本航空グループにおけるヒューマンエラー防止策の再徹底」に関する対策のなかで「確認会話」の徹底をあげているので紹介します。

この「確認会話」は、つぎに述べる「確認」とほぼ同じ意味です。
また、私が提唱している〈対話法〉の「確認型応答」に相当します。

【参考】 「日本航空」の当該Webページ
http://www.jal.co.jp/other/info2006_0131.html

ヒューマンエラーのなかで、コミュニケーションのミスまたはエラーが大きな部分を占めています。これは、一般的に、「言い間違い」「聞き違い」「誤解」「思い込み」などと呼ばれているものです。

それを可能なかぎり防止するには、「確認」という「当たり前な方法を習慣化」することが大切です。

確認というのは、相手が発した言葉の曖昧な部分や疑問に思ったところを、聞き手が想像や推測したままにせず、相手に確かめることを指します。

たとえば、「○○してください」と言われた際に、○○の部分が曖昧なとき、前後の文脈から、勝手に「○○」と決めつけてしまわないで、「○○のことですね」と確かめるのです。ただし、いつもいつも確認をする必要はなく、確認が必要だと思ったときだけでいいのです。

しかし、この当たり前の方法が意外と定着していないのが現状であり、それによるヒューマンエラーがたくさん起こっています。

もちろん、はじめから確かめる必要がない場合もあるでしょうし、逆に、確かめてさえ間違えることもあるでしょうが、せめて、「なにか変だな」と思ったら、遠慮なく確かめられる環境をつくることが重要でしょう。

そして、「確認が奨励される職場環境」が実現したら、ヒューマンエラーはかなり防げるのではないでしょうか。

【参考になるブログ記事】

当ブログから……
事故とコミュニケーション
対話におけるコトバの省略と復元

「少しだけ素敵な妄想」から「機長が語るヒューマン・エラーの真実

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2006年6月19日 (月)

誤解を防止する確認型応答

だいぶ前の出来事ですが、ある人から、下記のようなメールを受け取りました。

■ ……○○さんに連絡をすることはメールで断ったのですが……

          (前後の文章は省略します)

この文章を読んで、私はどう理解したら良いかわからず、首をひねってしまいました。前後の文脈からも判定不可能なのです。書いた人は、この文章の問題点に気づいていないのでしょうが……。

まずなによりも、この文章は肝心なことが全部抜けているのです。つまり、誰が断ったのか、誰に断ったのか、全く書いてありません。想像さえもできません。

さらにやっかいなのは、「断る」という語句の解釈が二通りあることに書き手が気付いていないことです。

「断る」には、代表的なものとして 許しを得る・拒否する の二つの意味があります。全く正反対の意味です。これを言葉の多義性といいますが、「断る」の場合、同じ言葉でこんなに意味が違うのは珍しいことです。

私は心理カウンセラーをしているので、カウンセリングの面接ではもちろん、日常生活でも、言葉の多義性には常に気を配っています。

ここで、カウンセリングでの失敗談を一つお話ししましょう。

カウンセリングは、相手(クライエント)の話を聞くことがメインになるので、一所懸命に聞くのですが、あるとき、クライエントから、「先生、もっと聞いてください」と言われました。私はとっさに、自分の聞き方が悪いのだと思い、ますます真剣に聞いたのですが、それにも関らず、「もっと聞いてくださいよ……」と言うのです。

おかしいなと思って、よくよく話しあってみたら、クライエントが言う「聞いてください」は、「分からないことがあったら聞いてください(質問してください)」という意味だったのです。にも関らず、私は、「質問」とは全く逆のことをしていたわけです。

このような誤解は、日常にはたくさんあります。笑い話で終わる内容や程度ならいいのですが、誤解から対人トラブル、さらには大きな失敗や事故に発展(?)してしまうこともありますので、気をつけなくてはなりません。

コミュニケーションって難しいですね。特にメールは、書き上がった文章を推敲しない場合が多いので、誤解の宝庫(?)になりがちです。

そこで、メールに限ったことではないのですが、相手との対話(メール交換も対話の一種です)の中で、「なにかおかしいな(変だな)」と思ったら、気付いた時点で相手に、「それは〜という意味ですか」あるいは「私は〜というふうに理解しましたが、これで合っていますか」という「確認型応答」をすることが、トラブルを防ぐ一番確かな方法です。

方法は、いたって単純ですが、意識的に実行している人は意外と少ないものです(無意識にやっている人はたくさんいます)。
また、私の経験と研究によると、この「確認型応答」を使えば、コミュニケーションが原因となる、多くの対人トラブルを防止・解消することができます。

言葉の解釈の違いによる誤解を少しでも防いで、より快適な対話や話し合い(メール交換を含む)をしましょう、というのが、私が〈対話法〉を提唱している一番の理由です。

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2006年6月17日 (土)

対話におけるコトバの省略と復元

わたしたちが会話をするとき、また文章を書くとき、無意識のうちに、かならず「省略」という作業をしています。
「これは言わなくても相手に伝わるだろう」と思われるコトバは省略されます。逆に、強調したいことや、詳しく説明しないと相手がわからないのではないかと思えるところはコトバにします。

一方、聞き手は、その省略されたコトバを適当(適切)に補いながら話を理解してゆきます。
そして、話し手が省略した部分を、聞き手がうまく復元できれば「理解」になります。しかし、話し手の意図と違ったコトバを補ってしまうと「誤解」になります。

ところで、コトバを補う(復元する)プロセスには、善かれ悪しかれ、聞き手の「先入観」や「心理状態」が影響します。人間同士のコミュニケーションでは、これはやむを得ないことです。

大事なことは、「コミュニケーションでは、このような現象が常に起こっている」ということを忘れないことです。
そして、特に重要な対話場面では、自分の理解が合っているかどうかを相手に確認すること(確認型応答)が必要です。これが、わたしが〈対話法〉を薦めている理由の一つです。

〈対話法〉でいうところの「確認型応答」は、言い換えれば、
「あなたの話を、わたしはこのようなコトバを補って聞きましたが、それでいいですか?」
という確認作業のことなのです。

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2006年6月14日 (水)

応答の「種類」

日頃、「話す」とか「応答する」などと、なにげなく言いますが、実は、話し方(対応)にもいろいろな種類があります。
そこで、よくあるパターンから順に記載すると下記のようになるでしょう。

1)相手の話を受けて、それに関して自分の頭の中に湧いたことを話す。(自他重視)
2)相手が話したことに関係なく、自分の頭の中にあったことを話す。(自己中心)
3)相づちを打ちながら聞くだけ。(相手中心1)
4)相手が言ったことを確認はするが、自分の意見や考えは言わない。(相手中心2)

これらのうち、2は、対話としては問題外ですから、ここではあえて説明しません。

1、3、4は、どれがいいということではなく、時と場合によって、適切な方法を選ぶことが大切です。

では、時と場合とは実際どういうことなのかということを説明します。

1は日常の会話の中で、最も多いパターンだと思います。お互いが気楽に気持ち良く対話できるのはこのパターンのときでしょう。
話の内容がさほど重大かつ深刻でなく、また比較的誤解が生まれにくい話でしたら、1が理想でしょう。

3と4は、カウンセリング(特に初回のカウンセリングの場合)における主な対応の仕方です。なぜかと言えば、話の内容が重要かつ深刻で、かつ心理的に微妙な領域の事柄を扱うからです。相手の話を十分に聞いてからでなければ、とてもアドバイスなどできません。

ところで、日常の会話(カウンセリング以外)でも、相談の色合いが濃いものや、重要な会議などのように、微妙なニュアンスを誤解なく伝え合わなくてはならない場合があります。

そのようなとき、はたして1の対応でよいのだろうか?というのが、私が〈対話法〉を通して訴えたいことの一つです。

上に書いたような場合は、本格的なカウンセリングではないにしても、部分的にはそれ(カウンセリング)に近い対応が必要だと思われます。
そして、そのためには、「それに近いような対応」を練習しておく必要があるのです。
なぜなら、ほとんどの人は、3や4を意識的に学んだことがないので、必要なときに実行できるとは限らないからです。

また、私がここで言っている「それに近いような対応」は、カウンセリングの技法より易しくなければなりません。なぜなら、だれでもが比較的簡単に使えなくてはならないからです。
そこで、最低限これだけできれば大丈夫ということで、〈対話法〉の原則を決めました。

【対話法の原則】
自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる。

実際の場面で、「相手の話を確認すること」と「自分の考えや気持ちを言うこと」のどちらにどれだけのウエイトを置くかは、話の内容や相手との信頼関係、そして何よりもその「対話の目的」によって違ってくるでしょう。
そこのところは、経験(あるいは〈対話法〉の練習会)から学んでいただくしか方法はありません。もちろん、多少失敗しても、失敗のあとの「確認」さえ忘れなければ、きちんと軌道修正はできますので、心配はありません。

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2006年6月12日 (月)

事故への対応/謝罪の是非

東京都内で、エレベータによる死亡事故が起こったことに関して、それぞれの立場から、さまざまなコメントが出されている。
詳しい事実関係、さらに事故原因が公表されるまでには、もう少し時間がかかるだろう。

ここでは、このような事故が起こった際の対応について、交通事故を例として行われた調査の一つを
紹介したい。このブログで論じている、心の通うコミュニケーションというテーマにも大きく関わるからである。

欧米では、一般に、交通事故を起こした時、たとえ自分の側に非があった場合でも、安易に謝ってはいけないと言われている。
なぜなら、その方が、保険金の交渉を進めていくうえで優位に立つと考えられているからである。

しかし、本当にそのような態度が有効なのかどうかについて、英国の
大手保険会社が行った調査の内容が、昨年(2005.9.30)「共同通信」により報じられた。 
それによると、意外な結果が出たというのである。

試算によると、「ソーリー(すみません)」と謝らなかったために、被害者の怒りを買い、英国で少なくとも年間2800万ポンド(約56億円)もの保険金が過大請求されていたというのである。

だいぶ前の記事なので、
現在ネット上では読むことができないが、その代わりに、このことに触れたいくつかのブログ記事があるので紹介する。
http://yukky.txt-nifty.com/bikeblog/2005/10/post_56cb.html
http://nipponnogenki.seesaa.net/article/8685364.html

なお、もとになった「Norwich Union」の記事(英文)を探したので合わせて紹介する。
http://www.nu-riskservices.co.uk/news/articles/cms/1127926373212694732605_1.htm

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2006年6月10日 (土)

確認における着眼点/事実と気持ち

〈対話法〉の「確認型応答」では、「相手が言いたいことの要点」をとらえることの重要性が強調されていますが、相手の話のどこに焦点を当てるかによって、「確認」の言葉はずいぶんと違ってきます。

例として、まず下の文章を読んでみてください。

「明日は日曜日なので家でゆっくできるから楽しみです」

文章なら、このように書くこともありますが、これが話し言葉ですと、いくつかの語句が省略されて、以下のどれかになる場合が多いのではないでしょうか。

「明日は日曜日だね」
「明日は家にいるつもりです」
「明日はゆっくりできるなあ」
「明日は楽しみだぞ」
「明日は日曜日だから家にいるよ」
「明日は日曜日だから家でゆっくりしようかな」
「明日は日曜日なので楽しみだ」
「明日は日曜日なのでゆっくできるから楽しみです」
「明日はゆっくできるから楽しみだぞ」

たいていの場合、話し手にとって、「これは言わなくても相手に伝わるだろう」と思われる語句が省略されます。
そして、往々にして、「気持ち」を伝えたいのに「事実」だけ言ったり、「意思」を伝えたいのに「気持ち」だけにとどめておいたりということが起こります。
実際、話し手はそこまで意識していないことが多いでしょうが……。

一方で、私達が人の話を聞くときは、語句が省略されているいないに関らず、相手が何を言いたいのか、何を伝えたいのかを想像しながら受け止めています。

しかし、語句が省略されていることが原因で、時には大きな誤解が起こることがあります。

本来、これは、「言いたいことをきちんと言語化していない話し手の責任(?)」なのですが、そればかり言っていては始まらないので、聞き手も努力しようというのが、〈対話法〉における「確認型応答」のねらいの一つなのです。

その努力をするうえで、事実・考え・思い・気持ち・意思を区別できるかどうかが一つのキーポイントになります。

ここで、元の文章に若干の語句を補って分類すると下記のようになります。

明日は日曜日です;事実
家にいるつもり;意思
ゆっくりできる;思い
楽しみ;気持ち

「確認」をする場合、これらの言葉の中から、「相手が言いたいこと」を想像してみることが大切です。

こうして、「事実・考え・思い・気持ち・意思」の区別ができるようになると、コミュニケーション技術は大きく前進します。
もちろん、人間の心に関することなので、数学や物理学のように、その違いを厳密に区別できるようなものではありません。境目ははっきりしないこともあります。しかし、だいたいの区別はできるはずです。そして、この、「だいたいできる」ということが、意外と大きな違いになって現れてくるのです。

ところで、「想像」を入れると、さらに一歩進んで、仮に、相手が言葉にしていないことも「確認」できることになります。もし、確認の内容が違っていたとしても、気にすることはありません。「確認すること自体」に意義があるのですから……。

ですから、たとえば、

「明日は日曜日だね」

とだけ言われたときでも、想像を交えて、

「楽しみなんだね」

と「確認」することが可能なわけです。

もちろん、「確認」の言葉は、この一つに限られるものではありません。
そして、一般的に、「事実」だけでなく「気持ち」にも着目した確認が大切です。

注)ここでは、〈対話法〉を例にして事実と気持ちの区別について説明しましたが、これらは、もちろん、従来の「積極的傾聴」でも重視されてきたことです。

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2006年6月 9日 (金)

コミュニケーションの成功率

わたしは、コミュニケーションはキャッチボールのようなものだとか、対話の練習はスポーツのようなものだと常々言っています。もちろん、他にもそのように言っている人はいます。

そこで、たとえついでにもう一つ付け加えます。
それは、スポーツと同じで、いつも成功する(うまくいく)とは限らないということです。

たとえばサッカー。シュートをしても必ず得点(ゴール)になるとは限りません。たくさんの失敗(スポーツではこのような言い方はしないと思いますが)があります。それでも、練習を積んだ能力のある選手は、数回に1回は、得点につながるシュートができます。

次に野球。一流選手といえども、毎回ヒットやホームランを打つとは限りません。上手な選手ほどヒットを打つ確率は高くなりますが、100%ではありません。

もう一つ相撲。さすがに横綱、大関などの上位陣になると、勝ち星の方がはるかに多くなりますが、下位のうちは、負けよりも勝ちが少しでも多ければ昇進してゆきます。つまり、50%以上勝てればオーケーなのです。

このように、全国レベル、世界レベルの選手でさえ、100%の成功率(得点率)があるわけではないのです。それくらい、人間相手の対戦(?)というのは確実性が低いことなのです。
コミュニケーションもある意味で「相手との対戦(勝ち負けはありませんが)」ですから、失敗があって当然です。要は、失敗を失敗のままにしなければいいのです。

日常の人間関係やコミュニケーションにおいてもこのようなことですから、まして、新たなスキルである「確認型応答」を試みて失敗したとしても、気にすることはありません。
数回のうち、たとえ1回でもうまくゆけば、それは大きな前進です。

失敗が即人命にかかわるとか、大きな経済的損失を被るような分野では、失敗は限りなくゼロに近いことが要求されます。そのかわり、複数の人によるチェック体制や、フェールセーフと呼ばれる機械的な安全装置が使われています。

しかし、日常のコミュニケーションでの多少の失敗は修復可能(対応が遅すぎると大きな問題になることがありますが)ですから、あまり神経を使う必要はないでしょう。「確認型応答」は、その修復のためのスキルにもなります。

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2006年6月 7日 (水)

私たちは無意識に傾聴していた

このブログの中で、傾聴あるいは「確認型応答」の大切さについて書いているが、私は、多くの人が日常の活動の中で全く傾聴ができないとか、一度も傾聴をしたことがないとは思っていない。
ただ、自分がしている、あるいはしていた行為が傾聴というものだというふうに認識していないだけだと思う。これは、ほとんどの人が、傾聴を知識やスキルとして教えてもらったことがないのだから仕方がないことである。

ところで、人付き合いが上手、対人関係がスムーズにできる、人から好感がもたれる、さらには、顧客から信頼され営業成績が高い、と認められている人たちは、どこかで傾聴を習ったか、あるいは、数々の実体験の中から自然と体得していったのであろう。もちろん、これらの能力は、傾聴スキルだけによるものではないけれど。

企業の管理職や医療・保健の専門職を主な対象として研修を行なっている産業医科大学の三島徳雄助教授らは、研修会の参加者はすでに傾聴を実践している(少なくとも部分的には)のだが、実際にどのような聞き方が傾聴であるかを意識していないために、傾聴が思うようにできないだけである、と考えている。

私も、この見解に賛成である。
これらの人たちが、これまで業務をうまくこなしてこられた(時には失敗もあったろが)からには、全く傾聴をしていなかったということは考えられない。単に、それらの行為に、「傾聴というラベル」が貼られていなかったため、自分が傾聴をしていることを意識していなかっただけだと思う。
同じ行為でも、意識して行なうのと、無意識あるいは、たまたま運良く(?)行なうのとでは、結果に大きな違いが出てくる。意識していないと、せっかくの効果的な行為も、必要な時に再現できないからである。

ここで、もう一度、先の三島助教授らの文章から引用する。(括弧内は浅野による補足)
---------------
(管理監督者は)管理監督者という仕事柄、指示、命令、アドバイスなどで部下や周囲の人間を援助するのが普通だと考えている。すなわち、「傾聴することが他者を援助することになる」ということが知られていない。そのために、援助の手段として傾聴することを選択していないだけである。
---------------

こう考えてみると、傾聴を意識的に実践することへのハードルは、私たちが思っているほど実際は高くないのかもしれない。

【参考文献】
三島徳雄・久保田進也・永田碩史 2004 管理監督者の資源を活かした職場のリスナー研修 心身医学,第44巻第12号

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2006年6月 5日 (月)

カウンセリング・傾聴・〈対話法〉の違い

このところ、〈対話法〉とカウンセリング(特に来談者中心療法)、さらにはカウンセリングの「積極的傾聴」との違いについて質問されることがたびたびあります。
そこで、若干難しい話になるかもしれませんが、このことについて私が考えていることを書いてみます。

違いをひとことで言うならば、〈対話法〉とカウンセリングは目的が違います。

〈対話法〉の目的は、誤解の少ない快適なコミュニケーションの実現ですが、カウンセリングの目的は、主として悩みやトラブルの解消(ゼロにするのは難しいですが)です。

つぎに言えることは、〈対話法〉はカウンセリングの一部である「積極的傾聴」含んでいるということです。
ただし、一部とは言っても、コミュニケーションを担うたいへん重要な部分です。

では、〈対話法〉と「積極的傾聴」はどこが違うのかということになりますが、この違いを文章だけで説明するのはたいへん難しいことです。
しかし、「難しい」だけでは答えにならないので、要点だけでも言葉にしてみます。

■〈対話法〉は、カウンセリングにおける「積極的傾聴」の本質を残しながらも、カウンセリングという特定な視点ではなく、コミュニケーションという、より一般的な視点を重視して簡略化したものである。

と言えるでしょう。(ますます分かりにくくなったかもしれませんが……)

〈対話法〉とカウンセリングは違うものです。しかし、カウンセリングの重要な部分である「聞き方の技法」としての「積極的傾聴」と、かなり似ています。
一見しただけでは、ほとんど見分けがつかないだけに、違いを認識してもらうにはなかなか苦労するところです。

でも、「積極的傾聴」でなく、わざわざ〈対話法〉としたことには、私なりの大きな理由があります。

その一番は、「肝心なところを誰にでも学びやすくした」ことです。

その一例が、「自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる」という、具体的な原則の設定です。

「学びやすい」ということは、実践が容易になるということです。

〈対話法〉と「積極的傾聴」の違いは、見た目にはわずかな差でしかありません。しかし、この初期の「わずかな差」が、結果的には意外と大きな違いになります。
たとえてみれば、Y字型の分かれ道で、はじめは少ししか離れていないのに、進めば進むほどその間の距離が離れていくようなものでしょうか。
カウンセリングと〈対話法〉の間には、はじめから、もっと大きい違いがあります。

しかし、念のために言っておきますが、この「違い」は、どちらが良くて、どちらが悪いという意味での違いではありません。
カウンセリングにはカウンセリングの目的、〈対話法〉には〈対話法〉の目的があるのですから、違っていて当然です。ただし、勉強する段階でも、できれば、目的によって、カウンセリングと〈対話法〉を使い分けた方がいいと、私は考えています。

お断り:この記事の中では、カウンセリングと積極的傾聴を、厳密に区別しないで論じています。

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2006年6月 4日 (日)

山は見る場所によって形が違う

 わたしが住んでいる群馬には赤城山があります。この山は、どこから見るかによって、かなり形が違って見えます。

 話し合いや会議などで、メンバーの意見が対立していたり、気持ちがかみ合っていない場面を客観的に見ていると、まるで一つの大きな山の形について、山の向こう側とこちら側で論じ合っているように思われることがあります。
 問題なのは、対立しているメンバー同士が、自分たちが互いに異なる場所から見ていることに気づいていないことです。

 同じ山でも、見る方向が違うと、全く違った姿に見えます。
 きっと同じ気持ちのはずなのに、どうも話がかみ合わないで堂々巡りをしている場合、こんな可能性(見ている角度が違う)に誰かが気づいて指摘するだけで、話し合いが一気に進展することがあります。

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