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2006年5月17日 (水)

共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!(1)

カウンセリングを習っている段階では、共感の内容(カウンセラーの応答)が違っていると、講師(あるいは世話人)から(時には厳しい)指摘を受ける。これは、適切な共感的(感情移入的)理解ができるように訓練することがカウンセリング研修の目的であるから当然のことかもしれない。

しかし、実際のカウンセリング場面では。共感の内容が少しくらい違っていても、ほとんど問題ではない(もちろん違いが多すぎると信頼されなくなるので要注意だが)。
まして、日常生活での傾聴場面における多少の違い(失敗)は、まったく問題ではないだろう。むしろ、少しばかりの「失敗」を恐れるあまり、違っている可能性のない「繰り返し」「オウム返し」だけで応じることの方が問題だと思う。

なお、ここでいう「繰り返し」「オウム返し」とは、相手の発言の全部(短い発言の場合)、あるいは一部(長い発言の場合)を、そっくりそのまま(わずかな言い換えも含む)の言葉で言うことを意味する。

たとえば、ある女性が、「私、どうしても友達が欲しいんです。でも、近付こうとすると、いつもサッと逃げられて、その度に傷付いてしまいます。それで、家に帰ってから、自分でも何だかわからないけれど、母親に当ってしまうんです。母親に悪いなあってことはわかっているんですけど……」(浅野良雄・妹尾信孝著『輝いて生きる』から抜粋)と、悩みを訴えたとする。

「繰り返し」「オウム返し」とは、これに対して、単に機械的に、

「傷付いてしまうんですね」
「母親に当たってしまうんですね」
「母親に悪いなあと思っているんですね」

などと応じることを指している。

つまり、私は、「繰り返し」「オウム返し」という用語を、「単に機械的(テープレコーダーの再生か、文字通りオウムのように)に同じ言葉を反復する」という意味で使っている。
(他の人もほぼ同じような意味で使っていると思われるが、「繰り返し」「オウム返し」について詳細に検討している文献がほとんどないのでなんとも言えない)

もちろん、人間は機械やオウムではないから、相手の発言内容を少なからず「理解」した上での応答だろうが、相手にとっては、本当に理解された上での応答なのか、口先だけの応答なのかという判別がつきにくいところが、「繰り返し」「オウム返し」の大きなデメリットの一つである。

ただし、一つだけ例外がある。
「その言葉に、相手にとって重要な感情が込められている」と聞き手が感じた時(これができるようになるには適切な訓練と経験が必要)は、その言葉を変えずに応答することがある。

たとえば、上の例で、
「私、どうしても友達が欲しいんです」
というところに感情が込められていると聞き手が感じた場合、

「どうしても友達が欲しいんですね」

と応答することがある。

しかし、ここで大事なことは、「どうしても友達が欲しいんですね」という言葉を「繰り返し」「オウム返し」したのではなく、その言葉が、相手が言いたいこと(考え・気持ち・感情など)の「要点」だと聞き手が感じたから、その言葉をそのまま使って応答したということである。

この場合、一見「繰り返し」「オウム返し」のように見えるが、そのように応じた理由も目的も、「繰り返し」「オウム返し」とは全く異なっている。

私がカウンセリングを習った、ある先生は、「共感的理解の結果、たまたま相手の言葉の『繰り返し』になることはあるが、はじめから『繰り返しをしよう』と思ってするのではない」と説明していた。

ここでまとめておくと、聞き手の応答において、

■共感的理解の結果が、一見「繰り返し」「オウム返し」に見える応答になることはあっても、
■「繰り返し」「オウム返し」が、共感的理解をしたことにはならないということである。

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コメント

おはようございます。Wakoです。
ブログへの書き込み、ありがとうございます^^
浅野さんのブログ、とても勉強になるので、
これからもちょこちょこお邪魔させて頂きますね。

「繰り返し」「オウム返し」についてですが、
Coの中でClに対して「沈黙に耐えられない」
「何か言わないといけない」という意識がある場合に、
繰り返しとオウム返しが使われるように思います。
これは傾聴訓練でCo役の方が必ずと言っていいほど
体験されていることではないでしょうか。

しかし実際のカウンセリングでは繰り返しとオウム返しほど
ストレートにClさんに返るものはないのではないか、と感じています。
Coの繰り返しやオウム返しの内容が
Clさんの言葉そのものであるにも関わらず、
時として刃のようにClさんを傷つけることもあるように思うのです。

じゃあそれはどこなんだ、と問われてしまうと
答えるのが難しいのですが、
やはり"適所"での使用が望ましいですね。

投稿: Wako | 2006年5月19日 (金) 06時49分

言葉に作為的なニュアンスが感じられるようになると、話し手は急に話す気力を失ってしまうのではないかと感じています。
「オウム返し」は、聞き手の言葉を確認の意味で繰り返すこともありますが、カウンセリングの場以外では・・時には相手の話をきちんと聞いてなくて、上の空で聞いていた時も「そうね、~ってあるんですよね。」というときにもオウム返し的に使われる事があると感じています。
私は他人からオウム返しに言われると「本当に私の話を聴いてくれているの?」と疑問がわくほうです。
むしろ聴いてくれているのかな、と思うのは、オウム返し的な言葉掛けというよりはむしろ、自分の考えを発展させてくれるような言葉がけのほうに「あぁ、この人には自分の全景が見通してもらえているんだ・・」的なものを感じます。
人によって考え方はさまざまでしょうけれど、私のささやかなつぶやきとしてお聞きいただけたら幸いです。

投稿: 月澄杏樹 | 2006年5月17日 (水) 21時34分

こんにちわ。私のブログでのコメントありがとうございました。
私自身、カウンセリングの中で「共感」を使うことはほとんどありません。
基本は「傾聴」と「受容」だと思っています。
「傾聴」する中で、確かに「繰り返し」の場合もありますが、それに関しては、クライエントが自分の思いをうまく言い表せないときに、かいつまんで「共感的」に「繰り返す」ことがほとんどです。
私のカウンセリング手法は、クライエント自身の方向性を気付かせる形ですので、「受容」が一番のポイントなのです。

カウンセリングに対して、とても深い記事がたくさんですので、少しずつ読ませていただきます(^^)
私のブログは単なる日常で、お恥ずかしい限りです(^^;)
懲りずにまたいらしてくださいね。

投稿: 福浦みょん | 2006年5月17日 (水) 21時23分

月澄杏樹さん
コメントをありがとうございました。
ご理解いただけたようで嬉しいです。
「軽い感じで相手の言葉を繰り返してつぶやく」とあるように、自然と湧き出てくるような「同じ言葉でのつぶやき」は、全く問題ないです。
と言うより、これが気持ちの通い合いというものですよね。
なぜなら、「繰り返そう」と意識して発しているのではないからです。
このブログに、また遊びにきてください。

投稿: 浅野 | 2006年5月17日 (水) 20時40分

少しづつ拝見させていただいております。

「オウム返し」についてのお話興味深く思いながら読ませていただきました。
カウンセリングの実技のRPGの中で「オウム返し」を使った会話にものすごく不自然な思いを抱いていました。
学校の先生の伝えたかったことをきちんと私が把握しきれていなかったせいなのかもしれませんが、その当時は「こんなしゃべり方って・・・普段友達と話すときには絶対話さないわ・・」なんて傲慢にも思っていました^^;

おっしゃる意味なんとなくわかります。

相手に対して「あなたの言っていることを私は理解していますよ」の一つの手段として使えたらいいのかもしれないですけれど・・私にはそれが有効な方法かどうかなかなかわからずにいました。
しかしかといってこの言葉に全否定を加えることはしません。
軽い感じで相手の言葉を繰り返してつぶやくことはしていますもの。
ただ初心者がこのオウム返しの技法を扱いかねているというのは現実問題感じてきました。

そんな昔のことを思い出しながら拝見させていただきました。
ここへ立ち寄りいろいろ勉強させてくださいね。

初心者が勝手なことを申しました。
失礼お許しください。

投稿: 月澄杏樹 | 2006年5月17日 (水) 12時59分

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