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2006年5月31日 (水)

自分の話も「傾聴」してもらうには

傾聴スキル(相手の話をよく聴いたあと、自分が理解した内容が合っているかどうか相手に確かめる)を習って、その有効性を実感すると、とかく日常の生活の中で傾聴をする「役回り」になりやすい。
それはそれで、相手(話し手)にとっては気持ちがいいことなので、いい人間関係が継続する可能性が高い。

しかし、いつも傾聴していると、つまり聞き役に回っていると、疲れたり、たまには自分の言いたいことも思いきり言いたくなることがある。
そんな時は、自分の話を相手に傾聴してもらえると嬉しいのだが……。

しかし、「傾聴が大事です」「傾聴しましょう」と説かれることは多いが、相手に「傾聴してもらいましょう」といわれることは少ない。
いくつか理由はあろうが、その一つとして、「傾聴スキルは受容や共感が関ってくるので難しいから、それらを習っていない相手に要求しても無理である」という暗黙の了解があるのではないだろうか。

その点、〈対話法〉では、従来の傾聴スキルを、あえて受容や共感という概念を使わずに、「相手が言いたいことの要点を相手に言葉で確認すること」というふうに簡略化しているため、難しい理論や概念を知らなくても、だれでも傾聴に近いことができるのである。
したがって、自分の話を相手に「傾聴」してもらいたい場合は、たとえば、「私が言いたいことの要点だと思われるところを、言ってみてもらえませんか(つまり確認型応答)」とお願いするだけでよい。
もし、相手の確認型応答が違っていれば、たとえば、「本当は〜ということを言いたかったのです」と訂正すればいいのである。

 各地の対話法研究会では、参加者同士で〈対話法〉を練習しているが、その会での対人関係がうまくいっている理由として、〈対話法〉の原則、あるいは確認型応答という共通ルールの存在が大きい。また、相手にも聞いてもらえる時間が確保されていることが、一部の人だけが傾聴をして自分のエネルギーを持ち出すことを防ぐために大きな働きをしていると思われる。

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2006年5月28日 (日)

メーリングリストでのトラブル対応における対話法

私が管理者をしていた、あるメーリングリストで、以前こんな経験をしたことがあります。

ある日、メンバーの一人であるSさん(ハンドルネーム)が、メーリングリストの運営方法について、意見を投稿しました。
その内容や書き方が肯定的・建設的なものなら、なんら問題なかったのですが、実際それとは正反対の否定的・攻撃的(本人の意図は違うのかもしれませんが、私にはそう感じられました)なものだったのです。

案の定、メーリングリストは険悪な雰囲気になりました。
Sさんが、「〜について、管理者に説明を求めたい」と書くので、私が冷静に丁寧に説明しましたが、「管理者は逃げている。そんな言い訳では、とうてい納得できない。だれもが納得できる説明を求める」と言うので、私はさらに知恵を絞って説明したのですが、一向に納得してくれません。
そのうち、他のメンバーまでもが論争に参加してきて、終いには収拾がつかなくなりました。

そもそも、「だれもが納得できる説明」というのは、ほとんど不可能なことでしょう。また、説明とか議論というものは、お互いに理解し合おうという気持ちが双方にないと、いくら言葉を尽くしても分かり合えないものでしょう。

困った私は、ふと、「これが〈対話法〉(またはカウンセリング)だったら、どのように進めるだろうか」と考えました。
〈対話法〉の基本は、相手の発言の内容から、相手が何を言いたいのかを受けとめて、それを相手に確認することです。

さて、攻撃的(?)な書き込みをしているSさんは、本当は何を言いたいのだろう。
そこで気付いたのが、Sさんは、

「このメーリングリストをより良くしたい」

という気持ちがあり、本当は、それを言いたいのではないかということでした。
そこで、さっそく私は、

「Sさんは、このメーリングリストを良くしようと思って、たくさんの発言をしているのですね」

というコメントを書き込みました。
すると、驚くことに、その後のSさんの発言が、急に建設的になったのです。

後から考えたのは、最初のSさんの攻撃的(?)な発言に触発されて、こちらが防衛姿勢になってしまい、その姿勢(Sさんには逃げと映った)がSさんを益々刺激してしまったのではないかということです。

メーリングリストで発生するトラブルには様々な原因があるので、「この言葉」を言えば必ず解決するといえるほど単純ではありません。
しかし、この経験から、〈対話法〉の原則(つまり傾聴)を優先した対応が多いに役立つのではないかと、私は改めて思いました。

参考になるブログ記事
ネット荒らし対策でも広がる『傾聴』の技
---ネット上のバーチャルな世界でも「傾聴」が注目されている---

 

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2006年5月23日 (火)

もう一度、「繰り返し」の是非について

しつこいかもしれないが、重要なことなので、「繰り返し」(オウム返しも含むが、ここでは、簡略化のために「繰り返し」という用語で代表する)について、もう一度書いておきたい。

日常会話の中で、軽い感じで、無意識のうちに、自然発生的に出てくる「同じ言葉」は問題ないだろう。なぜなら、このような場合は、相手の言葉を「意図的」に繰り返そうとして繰り返しているのではなく、自然とそうなってしまったからである。私が問題視しているのは、「技法として意図的に繰り返す」という意味での「同じ言葉」のことである。

しかし、残念ながら、これら二つの「同じ言葉」が、どちらも「繰り返し」と称されることが多いため、初心者は混乱するのである。

極端に分けるとすれば、

意図的に同じ言葉を言うこと(=繰り返し) ×
意図するわけでなく、自然と無意識的に同じ言葉が出てくること ○

ということになる。

カウンセリング研修のロールプレイング場面で、カウンセラー役として何らかのことを言わなければならないという状況で、反射的に「繰り返し」をしてしまうという体験は、多くの人がしていると思う。
また、相手(クライエント役)の話が、短すぎたり、分かりやすすぎる場合も、「繰り返し」でしか応答できないことがある。

たとえば、クライエント役の人が、次のように言ったとしよう。

クライエント役:「今日は、ここまで車で来ました」

本来、この程度の話題では、いちいち共感的応答をする必要はないのであるが、ロールプレイングは応答をする「練習」が目的であるから、何か言わなければ「練習」にならない。そこで、たとえば、

カウンセラー役:「車で来たんですね」

と、「繰り返し」をしてしまうのである。

しかし、私がカウンセラー役をする場合、次のような応答をすることがある。

浅野:「何も話題がなくて困っているんですね」

もし、これがクライエント役の人の気持ちと違っていれば、

「いいえ、実は……」

と続けて話してくれるだろう。共感的応答は違っていてもいいのである。

もし合っていれば、

「はい、このような練習は初めてなので、急に何か話せと言われても、話したいことを思いつきません……」

というように、クライエント役の、文字通り「いま、ここで」の思いや気持ちを語ってくれるかもしれない。

このような応答については、少し深入りしすぎるという批判があるかもしれないが、共感的応答の「練習」だからこそ、このような挑戦をお勧めしたいのである。もちろん、練習の場だけでなく、実際のカウンセリングの場面でも活用してもらいたい。
ただし、このような応答は、あくまでも、カウンセラーの理解の仕方が合っているかどうかをクライエントに確かめることが目的である。決してカウンセラーの理解を押し付けてはならない。

この稿の最後に、ロジャーズの言葉を紹介する。

 そのアプローチ(非指示的療法)全体が、数年のうちにひとつの技法として知られるようになり、「非指示的療法とは、クライエントの感情を反射していく技法である」と述べられるようになってしまった。さらにひどい真似事として、「非指示的療法では、クライエントが述べた最後の言葉を繰り返せばよい」というのもあった。私は、自分たちが提唱しているアプローチが、こうして完全に歪曲されたことにショックを受けた。そのため、その後数年間は、共感的傾聴に関して何も述べないようにした。再びこれを強調するようになった時点では、共感的態度に重点をおいて、対人関係の中でどのように実行していくかについては少ししか述べないようにした。

参考文献:C・R・ロジャーズ著/畠瀬直子監訳『人間尊重の心理学』(A way of being)創元社 130ページ
ただし、趣旨を変えない範囲で、浅野が若干書き換えた。

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2006年5月21日 (日)

問題解決が早いブリーフ・セラピー

今日は、失敗学会の会議があったので、東京に行ってきた。
私の場合、生産現場・医療機関・交通機関などにおける失敗や事故への対応と防止に「確認型応答」が役立つのではないかという観点から、失敗学会の活動に関わっている。

行き帰りの電車の中で、短期療法(ブリーフ・セラピー)の本を読んだ。ここ数年、ますます注目されてきたセラピーの一種である。

従来(と言ってもいろいろあるが)のセラピーとの大きな違いは、基本的に、クライエントがかかえている問題や症状の原因探しをしないところにある。
生育歴や原因はともあれ、とにかく悩みや症状が改善すればいいという、つまり前向き(解決志向)な対応をしていこうという考え方が根底にあるからだ。

私も、数年前から、このセラピーを取り入れている。そのためか、問題や症状がそれほど深刻でないクライエントの場合、文字通り、2〜3回でカウンセリングが終わるケースが増えてきた。

参考文献:スコット・D・ミラー、インスー・キム・バーグ著『ソリューション・フォーカスト・アプローチ』金剛出版

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2006年5月20日 (土)

事故とコミュニケーション

さまざまな事故(最も広い意味では人間に関るトラブル)について、コミュニケーションという視点で考えてみる。

認知心理学の観点からさまざまな事故の原因や対策を研究している海保博之氏(元筑波大学教授)は、交通機関などにおける事故の発生には、因果連鎖をたどって いくと、どこかで必ず人が関わってくると指摘している。さらに、事故の原因の一つとして、思い込みによるエラーなど、関係者間の伝達ミスがあると言って いる。

そして、それを防ぐためには、他人との共同思考ができること、つまり、メンバーが自分の思いを、自由に、しかも頻繁にコミュニケーションできる環境が必要であると提言している。(『人はなぜ誤るのか』福村出版より)

上記の観点の重要性は、私たちが日常の体験を通して実感していることと思う。

〈対話法〉の関係では、最近、医療事故や医療過誤によるトラブルの予防を重視した医療関係の団体からの問い合わせや実習指導の依頼が目立つようになってきた。

医療という分野でも、従来から指摘されていたシステムの改善や知識・技術の向上という視点に加えて、対人言語コミュニケーションの重要性に関心が向くようになってきたからだと察している。

私は、「人間関係、特にコミュニケーションは難しい」という、私たちの「思い込み」(?)が、かえってコミュニケーションに関る改善を遅らせているのではないかと考えている。

そこで、「人間が関ることは複雑ではあるけれど、思っているほど難しくはない」と発想を転換することによって、さまざまな問題に対する前向きの対策が活性化するのではないかと思い、〈対話法〉の普及活動を続けているのである。

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電話でメルアドを正確に伝える方法

電話でA,B,C…(アルファベット)を伝える時、「エフ」と「エス」、「ビー」と「ピー」、「アイ」と「ワイ」、などを間違えずに伝えるのに苦労したことがあると思う。
特に、メールアドレスやコンピュータ関連の略語を伝えるときは、何度も繰り返さなくてはならないことが多い。

私は、以前、アマチュア無線をやっていたが、その世界では、アルファベットの聞き違いを防ぐために、欧文通話表(フォネティックコード)を使うのが慣例になっていた。

たとえば、GSD……なら、
「ゴルフ、シエラ、デルタ……」というふうに言って伝えるのである。

特に無線は電話(有線)と違い、混信や電波の強弱などの影響で聞き取りにくい場合が多いからである。
ちなみに、数字や日本語の五十音にもフォネティックコードがある。

歴史的には、さまざまな種類のフォネティックコードがあったが、現在、国際電気通信連合(ITU)では、下記のように統一している。

A:アルファ B:ブラボー C:チャーリー D:デルタ
E:エコー F:フォックストロット G:ゴルフ H:ホテル
I:インディア J:ジュリエット K:キロ L:リマ
M:マイク N:ノヴェンバー O:オスカー P:パパ
Q:ケベック R:ロメオ S:シエラ T:タンゴ
U:ユニフォーム V:ヴィクター W:ウィスキー X:エックスレイ
Y:ヤンキー Z:ズールー

以前、会社に勤めていたとき、同僚が電話で何度も、「シーではなくて、ティーですティーです」などと、何度も繰り返しているのを聞いて、どうして、こんなに便利なものを使わないのだろうと不思議に思っていた。もちろん、私も恥ずかしくて使えなかったが……。(最近、業界によっては、社内で使われているところもあると聞いている)

フォネティックコードは、便利で効果的なのは確かだと思うが、先にも書いたように、皆で使わないと恥ずかしいというのが最大の欠点である。
でも、仕事やプライベートでの、誤解のない、よりスムーズなコミュニケーションを実現するために、そろそろ皆で使い始めてはいかがだろうか。

フォネティックコードについては、下記のブログが参考になる。http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2005/02/post_56.html
さらに詳しく紹介している無線関係のホームページはこちら。
http://home10.highway.ne.jp/cwl/phonetics.html

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2006年5月19日 (金)

共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!(2)

傾聴が、その重要性の割には、いまだに広く社会に浸透していない理由を、いつも考えている私としては、このブログにたくさんのコメントをいただき嬉しく思っている。
傾聴は、カウンセリングの基本的概念と技法であるが、それが、さまざまに理解・解釈され使われている現状をかいま見たような気がする。

ところで、ここ数日のブログ記事の中で、私は、受容・共感的理解・傾聴などの語句を、厳密な定義や区別をしないで使っている。専門家(私も専門家の一人であるが……)から見れば、とんでもないことかもしれない。

しかし、それには理由がある。
一番の理由は、それぞれが複雑かつ奥の深い概念なので、研究者によってさまざまな定義がされているため、それ(語句の意味の違いや研究者による定義の違い)を厳密に区別しながら論じようとすると、話がなかなか先に進まないからである。
つまり、ただでさえ難しい話が、ますます難しくなってしまうからである。
したがって、ここでは、それらの意味をどのように定義したとしても、常識的な範囲内であるなら問題ないとして話を進めている。

言い訳はこれくらいにして、今回、私が、「共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!」と主張している根拠の一つを、ロジャーズの著書の中から紹介する。

『ロージァズ全集・第2巻』のなかでロジャーズは、「あまり重要でない誤り」として次のようなことを書いている。
ただし、分かりやすくするために、主旨を変えない範囲で、浅野が字句を若干書き換えたことをお断りしておく。

ロジャーズは、

カウンセラーが、クライエントの感情を不正確に理解して(つまり誤解して)、それをクライエントに言葉で伝えた場合、多くのクライエントはカウンセラーの言葉を否定するであろう。このような場合、その指摘を受けたカウンセラーが、自分の誤りを素直に認めることにより、その点についてクライエントと議論するようなことをしなければ、カウンセリングの進行にとって、なんら害になることはない。

と言うのである。

もちろん、そのすぐあとでは、

しかし、このような誤りが繰り返されると、クライエントは、自分が理解されていないという感じをもつため、カウンセリングの過程が長引いてしまう。

とも書いている。

もしかしたら、ロジャーズがこのように書いているのを知って、驚いた人がいるかもしれない。
もしそうだとしたら、それは、ロジャーズが提唱した来談者中心療法が、ロジャーズの手を離れて、かなりいろいろな方向に一人歩きしてしまった証の一つであろう。

参考文献:C・R・ロージァズ ロージァズ全集・第2巻「カウンセリング」岩崎学術出版社 1966

浅野の注:ロジャーズの名前の表記は、時代により相違がある。1960年代に日本で『ロージァズ全集』が出版された頃は、ロージァズという表記が一般的だったようである。

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2006年5月18日 (木)

読みたい本が図書館にないとき

カウンセリング、特に来談者中心療法について研究しようとすると、ロジャーズの原典にあたる必要が出てくる。しかし、岩崎学術出版社から刊行されている『ロージァズ全集』全18巻(別巻を含めると23巻)は、現在絶版になっているものもあり、なかなか全部は手に入らない。

そこで、役立つのが図書館の「図書館間貸出(ILL)」(無料で利用できる)というシステムである。近くの図書館にない本でも、そこで予約申し込みをしておけば、「図書館間貸出」をしている大きな図書館から借りてくれるという便利な制度である。
どこの図書館においてあるかは、あらかじめ「Webcat Plus」で調べておくと便利だ。

市販されている本は、ほとんど上記の方法で借りられるが、市販されていない論文などは、国立国会図書館の複写サービス(有料)を利用して手に入れられる。

これらのいずれかの方法を使って、必要とする文献に目を通すことができるのである。

昨日、近くの市立図書館から、先日申し込みをしておいた『ロージァズ全集』が届いたとの連絡があったので、これから借りに行こうと思う。

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2006年5月17日 (水)

共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!(1)

カウンセリングを習っている段階では、共感の内容(カウンセラーの応答)が違っていると、講師(あるいは世話人)から(時には厳しい)指摘を受ける。これは、適切な共感的(感情移入的)理解ができるように訓練することがカウンセリング研修の目的であるから当然のことかもしれない。

しかし、実際のカウンセリング場面では。共感の内容が少しくらい違っていても、ほとんど問題ではない(もちろん違いが多すぎると信頼されなくなるので要注意だが)。
まして、日常生活での傾聴場面における多少の違い(失敗)は、まったく問題ではないだろう。むしろ、少しばかりの「失敗」を恐れるあまり、違っている可能性のない「繰り返し」「オウム返し」だけで応じることの方が問題だと思う。

なお、ここでいう「繰り返し」「オウム返し」とは、相手の発言の全部(短い発言の場合)、あるいは一部(長い発言の場合)を、そっくりそのまま(わずかな言い換えも含む)の言葉で言うことを意味する。

たとえば、ある女性が、「私、どうしても友達が欲しいんです。でも、近付こうとすると、いつもサッと逃げられて、その度に傷付いてしまいます。それで、家に帰ってから、自分でも何だかわからないけれど、母親に当ってしまうんです。母親に悪いなあってことはわかっているんですけど……」(浅野良雄・妹尾信孝著『輝いて生きる』から抜粋)と、悩みを訴えたとする。

「繰り返し」「オウム返し」とは、これに対して、単に機械的に、

「傷付いてしまうんですね」
「母親に当たってしまうんですね」
「母親に悪いなあと思っているんですね」

などと応じることを指している。

つまり、私は、「繰り返し」「オウム返し」という用語を、「単に機械的(テープレコーダーの再生か、文字通りオウムのように)に同じ言葉を反復する」という意味で使っている。
(他の人もほぼ同じような意味で使っていると思われるが、「繰り返し」「オウム返し」について詳細に検討している文献がほとんどないのでなんとも言えない)

もちろん、人間は機械やオウムではないから、相手の発言内容を少なからず「理解」した上での応答だろうが、相手にとっては、本当に理解された上での応答なのか、口先だけの応答なのかという判別がつきにくいところが、「繰り返し」「オウム返し」の大きなデメリットの一つである。

ただし、一つだけ例外がある。
「その言葉に、相手にとって重要な感情が込められている」と聞き手が感じた時(これができるようになるには適切な訓練と経験が必要)は、その言葉を変えずに応答することがある。

たとえば、上の例で、
「私、どうしても友達が欲しいんです」
というところに感情が込められていると聞き手が感じた場合、

「どうしても友達が欲しいんですね」

と応答することがある。

しかし、ここで大事なことは、「どうしても友達が欲しいんですね」という言葉を「繰り返し」「オウム返し」したのではなく、その言葉が、相手が言いたいこと(考え・気持ち・感情など)の「要点」だと聞き手が感じたから、その言葉をそのまま使って応答したということである。

この場合、一見「繰り返し」「オウム返し」のように見えるが、そのように応じた理由も目的も、「繰り返し」「オウム返し」とは全く異なっている。

私がカウンセリングを習った、ある先生は、「共感的理解の結果、たまたま相手の言葉の『繰り返し』になることはあるが、はじめから『繰り返しをしよう』と思ってするのではない」と説明していた。

ここでまとめておくと、聞き手の応答において、

■共感的理解の結果が、一見「繰り返し」「オウム返し」に見える応答になることはあっても、
■「繰り返し」「オウム返し」が、共感的理解をしたことにはならないということである。

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2006年5月16日 (火)

コミュニケーション・ミスの原因と対策

〈対話法〉は、信頼関係を築いたり、対人関係をスムーズにするということだけでなく、組織や団体、学校など、多くの人間が「言葉」を交わす場におけるコミュニケーション・ミスの修復や予防にも役立つ。
(信頼関係とコミュニケーション・ミスは大いに関係しているが、また別の機会に書いてみたい)

コミュニケーション・ミスは、コミュニケーション・エラーとも呼ばれる。
どんな意味なのか簡単に言うと、人間がすることに完全はないため、あらゆるコミュニケーション場面において、無意識的(故意を含むこともある)に起こる「言い間違い」や「聞き違い」(それ以外にもたくさんの種類がある)などのことである。
そして、コミュニケーション・ミスを論じる(原因を探したり対策を考えること)場合に重要なのは、基本的に特定の個人に原因や責任があるわけでなく、それは、「コミュニケーション」という行為自体がもっている宿命であるという認識である。

しかし、先にも書いたように、多くの場合、無意識的であり、誰に責任があるわけではないにも関らず、それが一因になって、人間関係が悪くなってしまうこともあるため、コミュニケーション・ミスは放置できない。
そして、〈対話法〉で提唱しているのは、それを「確認型応答」で防ごうとする方法である。

もちろん「確認型応答」だけでは完璧とは言えないので、他にも様々な対策が必要である。

コミュニケーション・ミスの分析については、「小野和俊のブログ」などが面白い。

また、この記事を教えてくれた、「無量大数」のブログも参考になる。

もっと詳しく知りたい人は、たとえば、

■西川一廉・小牧一裕著『コミュニケーションプロセス』二瓶社

などの専門書を参考にしてほしい。

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2006年5月15日 (月)

繰り返し・オウム返し技法はロジャーズ理論とは関係ない

カウンセリングの場面はもちろんのこと、日常生活の中でも、多くの人によって、受容・共感・傾聴の重要性が理解され、実践されている昨今である。
一方、受容・共感・傾聴を習った人が、「繰り返し」や「オウム返し」でしか応答しない不自然さに違和感をいだき、受容・共感・傾聴に対して否定的な考えを持っている人もいるのではないだろうか。

私は、受容・共感・傾聴の重要性を痛感し、一人でも多くの人に伝えたい人間の一人として、上に書いたような状況を、なんとか変えていきたいと奮闘する毎日である。

カウンセリングにおいて重要な、受容・共感・傾聴などの概念が、「繰り返し」や「オウム返し」という技法(?)と、あたかもイコールであるかのように伝わっているのは残念なことである。まして、それがロジャーズ自身が提唱しているかのように、一部の人に理解されていることは、ロジャーズに対して申し訳ない気持ちさえする。

ロジャーズは、カウンセリングでは「繰り返し」や「オウム返し」が重要だとか、すべきだとは言っていないのだが、あたかも、そのように誤解されている原因の一つに、次のようなことがあると推察される。

一部の一般向けカウンセリング入門書の中では、カウンセリングにおける受容・共感・傾聴などの重要性が、ロジャーズの理論をもとに説明されたあと、カウンセラー応答の具体例として「繰り返し」や「オウム返し」が紹介されている。
そこで、「繰り返し」や「オウム返し」を、あたかもロジャーズが提唱しているかのように読者が錯覚してしまうことがあるのも無理はないだろう。

この誤解の原因の一つは、入門書の著者が、どこまでがロジャーズ自身が提唱していることなのかを明確に記述していないところにあると思う。

しかし、もしもロジャーズ理論に対する誤解がなかったとしても、「繰り返し」や「オウム返し」は不適切であると、筆者は考えている。

(ここで書いた内容は、筆者(浅野)が誤解している部分がないとはいえません。お気づきの方は、遠慮なくご指摘ください。時間が許すかぎり、建設的な意見交換をしたいと考えております)

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2006年5月14日 (日)

受容・共感・傾聴は「繰り返し」や「オウム返し」でいいのだろうか?

これは、以前から疑問に思っていたことである。

カウンセリングでは、受容・共感・傾聴が重要なスキル(技法)だ。
これは、疑いないことだと思うが、それを、カウンセリングの入門講座で習うとき、しばしば、「繰り返し」や「オウム返し」という技法の形で説明され、実技指導されることがある。もちろん、指導者によって違いはある。

また、カウンセリング関連の専門書でも、「繰り返し」や「オウム返し」などが、
あたかも受容・共感・傾聴の具体的な方法であると説明されているものがある。

ところが、受容・共感・傾聴について研究・提唱した当のC・R・ロジャーズは、
「繰り返し」や「オウム返し」を勧めてはいない。
なぜなら、「繰り返し」や「オウム返し」には、多くの問題があるからだ。

私が提唱している〈対話法〉、特に「確認型応答」という概念と技法は、この問題点をなんとかクリアしたいという切なる思いにより考案したものである。

どこが問題なのかということや、では、どうすればいいかということについては、
すでに対話法研究所のホームページや著書で書いている。
しかし、その後気づいたことや、ロジャーズの論文から紹介したい部分も多々
あるので、このブログで、追々書いていく予定である。

参考:
自分の「繰り返し」が他のメンバーに違和感をもたれたという体験談が書かれたブログの一文を紹介する。
正解があるなら聞きたいが…

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2006年5月11日 (木)

興奮と冷静の切り替え

昨晩、NHK総合で放映されたクローズアップ現代の、「脳科学で防ぐ“キレる子”」を見た。
思い切り心身を動かして楽しく遊ぶ状態と、遊びを終わらせて冷静な状態に戻るときの気持ちの切り替えの方法を、体験を通して学んでいくことの重要性が、脳科学の観点から理解できた。
この番組については、たくさんのブログ記事があるので、いくつかを紹介する。

脳科学的にみても親子のコミュニケーションは大事みたいです

周囲は心の鏡

じゃれつき遊び

〈対話法〉の練習は、冷静に相手の言葉を聞くことを通して自分の感情をコントロールする訓練にもなっている。
このような心の働きが、脳科学の研究からさらに解明されることを願っている。

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感情が「目で見える」IT機器

昨日の「東京新聞」で、話し手の感情が三色の光の変化として見えるようにする「言花」(KOTOHANA)のことが紹介されていた。

〈対話法〉の効果の研究にも使えそうだと思い、ネットでいろいろと検索しているところだ。

そもそも感情というものは、客観的なデータ(たとえば数値化されたもの)として取り出すことが難しいので、カウンセリングや、〈対話法〉などのコミュニケーション技法に関する科学的な研究がなかなか進まない。

「言花」のような機器の精度が向上して、もっと安価になれば、人間の心理やコミュニケーションの研究にも大いに貢献するのではないかと思っている。

「言花」に関するブログ記事:気持ちを光で表現する「言花(KOTOHANA)」

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2006年5月 9日 (火)

ブログって面白そう!

以前からブログのことは知っていたけれど、自分ではじめようとは思っていなかった。

ところが、昨日、たまたま、「広川芳恵のココロのまんなか」というHPに出会い、彼女が、私の友人の妹尾信孝さんの講演を聞いて「涙が止まらなかった」と書いているブログの一文「愛を感じる心」(2005.10.18)が目に止まった。

広川芳恵さんというのは、館林市出身のタレントさんだそうだ。
思いがけない形での人との繋がりに感謝するとともに、ブログもあなどれないなと思った。

こんな形で、人との繋がりが広がっていくことを願って、今日からブログを書くことにした。

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